海を見守る神社、苦労の先に。
塩釜神社の特徴
海沿いの高台に位置し、美しい景色が広がっています。
登るのは大変でも、その先にある神社の風景が魅力的です。
地元の海を見守る神社として、特別な存在感を放っています。
海に面した道で側面は山、そんな岬への道を延々と行った先にある集落は日本各地にあります。共通するのは隔絶感から来る、ちょっとミステリアスな旅情感溢れる風情です。ここの神社は海近くの険しい岩場の上に在ります。階段は足場がしっかりと整備されているので安全に登る事が可能です。塩土老翁といった塩田があった所ゆえの祭神が主祭神で、タケミカヅチ、フツヌシといった春日系の武神も祀られている様です。末社に本殿と同格の祭壇があり、もうひとつ謎の石造物に本坪鈴が付いたものがあります。拝殿の浦島太郎と思われる木彫がユニークですね。
海沿いの高台を登った場所にあります。木に囲まれているため景色は望めませんが、心地よい雰囲気に癒されました。浦島太郎と思われる彫刻も良かったです。それにしても急で細い階段しかなかったのですが、どうやって50年前に改築したのでしょうね。
地元の海を見守る神社♪登るのは大変ですが、上りきった暁には、きっとその苦労は報われると思います☆
| 名前 |
塩釜神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
赤穂出身の相場師是川銀蔵が金を落とした神社。恐らく生家がこの近くに違いない。是川 銀蔵(これかわ ぎんぞう、 1897年(明治30年)7月28日 - 1992年(平成4年)9月12日)は、日本の事業家、投資家、相場師、慈善家。最後の相場師と呼ばれた[1]。略歴編集現在の兵庫県赤穂市で貧しい漁師の七人兄弟の末っ子、小山銀蔵として生まれる[2]。小山の家は赤穂では有名な旧家であったが、明治維新で没落した。一家は3歳の時に神戸へ転居し、尋常小学校を卒業した後、14歳で貿易商の好本商会の丁稚となる[3]。1914年に好本商会が倒産すると、ロンドンを目指し出国するが、中継地の中国の大連に着いたときに第一次世界大戦が勃発した。日本軍が山東半島の龍口に上陸したため、軍との商売を目指して龍口へ移った。軍が青島へ向かうと徒歩で追いかけた。途中で金がなくなり生死を彷徨いながらも軍の出入り商人となり、貿易会社小山洋行を設立した。食料品や桐を扱って利益を上げたが、軍の高官に対して饗応を行った為、1915年に贈賄容疑で憲兵に逮捕されたが、未成年であったこと等を理由に無罪となり、日本へ帰国した[4]。