戊辰の墓に咲く花々
戊辰の墓 六道口の特徴
戊辰戦争の激戦地であり、歴史を感じる場所です。
地元の人々が手向ける花が絶えない、心温まるスポットです。
旧幕府軍の戦死者を祀るひとつの墓として大切にされています。
幼少の頃から4回/年通ってますが、戦場のひとつであったと改めて知る。
六道の辻と呼ばれ、慶応4年(1868)4月23日、戊辰戦争で土方歳三と会津藩士秋月登之助率いる旧幕府軍が新政府軍とここで激突した。19日に宇都宮城を落城させた旧幕府軍はここにとどまったが、奪還しようとする新政府軍との戦闘は激烈で、この戦闘の結果、新政府軍は宇都宮を再び掌握した。当時の城下町の城下入り口の一つで、栃木街道と壬生街道が合流する交通の要所であった。名称は「戊辰之役戦士墓」。祀られているのは旧幕府軍の戦死者で、建碑したのは新政府軍の宇都宮藩戸田三男以下14名の名が刻まれている。これは一般的にありえないことである。会津での戦闘中、戸田三男隊は捕縛した長岡藩家老、山本帯刀とその部下を処刑するが、山本は自分の刀と隊が所持していた軍用費を戸田に差し出し、「これを貴藩に提供するので、相当の費用に充てられんことを」と遺して死についた。戸田三男は宇都宮に戻ったあとの明治7年、この金を使って旧幕府軍の戦死者の墓地を整理し、建碑した。武門の誉れの出来事である。以後100年以上に渡り、この碑は地元住民に手厚く見守られ、現在に至る。
江戸時代末期の戊辰戦争の役で官軍は近くのお寺に葬られ、敗軍の残された旧幕府軍の戦死者を地元の人々によって葬り祀ってある、戊辰の墓今でもたえることなく花が地元の人々によって手向けられている。
古戦場の墓です。
江戸時代末期の戊辰戦争の役で官軍は近くのお寺に葬られ、敗軍の残された旧幕府軍の戦死者を地元の人々によって葬り祀ってある、戊辰の墓今でもたえることなく花が地元の人々によって手向けられている。
戊辰戦争の戦場となった場所であり、そこで戦死した旧幕府軍の兵士のお墓だそうです。宇都宮藩は新政府軍側であるにもかかわらず地元の人々は弔ったそうです。
名前 |
戊辰の墓 六道口 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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宇都宮在住乍ら墓碑を見たのは初めてでした。新選組が好きで幕末大好きになり戊辰の1ページである六道の辻感慨深いものがあります。