戦国の英傑、鳥居元忠の神社。
精忠神社の特徴
鳥居元忠を祭った神社で、戦国武将の歴史を体感できます。
壬生城跡に位置し、長い参道を通る厳かな雰囲気が魅力です。
畳塚の碑が本殿後ろにあり、独特の文化を感じられます。
徳川家康が登場する戦国作品でよく登場する忠臣鳥居元忠を祭った神社です。
鳥居公を祀る神社で、本殿後ろに「畳塚」の碑があります。御朱印は近くの雄琴神社で頂けます。たまたま氏子総代の方とお会いできて貴重なパンフレットを頂きました。
一の鳥居から長い参道を通ると厳かな神社が有ります、駐車場はありません。御朱印は雄琴神社で頂くことが出来ます。
「縁起良い神社なのかな~?」と、ちょっと参拝を迷った神社です。「徳川家康重臣、鳥居元忠が自刃した時の、血に染まった畳を埋めた場所」だったからです。が、「日光東照宮で徳川家康のお墓にも行ってるし…。」となり、訪れてみました。😀鳥居の後ろには立派な門‼️ちょっと変わってて、素敵です。😀境内に入ると、重々しい雰囲気に。鳥居元忠の話を前以て知ってるからだとは思います。拝殿、本殿も、煌びやかさは全く無い作りですが、かなり立派な拝殿、本殿です。重厚感が有り、かなりの迫力です。本殿後ろには「畳塚」が。ここに「血に染まった畳」が埋められているそうです。実際にその前に立つと、色んな感情が湧いてきて、ちょっと切なく…。(涙)帰りには、鳥居右側の「かんぴょうの像」を是非‼️重々しくなった雰囲気を和ませてくれますよ。良い意味で笑え、ほんわかした気分で帰れます。🤗(壬生町はかんぴょうで有名なんですよ)ちなみに御朱印ですが、同じ壬生町の「雄琴神社」で頂けます。😀(3年12月7日)
鳥居元忠が祀られている神社です。いつか、行ってみたいと思っていた場所です。(^^)行けて嬉しい🎶あの、徳川家康とは一心同体で、関ヶ原合戦が始まる前に伏見城で華々しく散り忠義を貫いた三河武士の人です。後に、関ヶ原の戦いを制した徳川家康は、その血染めの畳を鳥居元忠の忠義を称える形で、江戸城の伏見櫓の階上に設置した。明治維新で、勝海舟と西郷隆盛により江戸城明け渡しとなった際、その畳は栃木県下都賀郡壬生町の精忠神社脇に埋められて供養されているそうです。また、血染めの床板は「血天井」として京都市の養源院をはじめ、宝泉院、正伝寺、源光庵、宇治市の興聖寺の天井に用いられ、現在も垣間見る事ができるそうで一度は見てみたい。
壬生藩、鳥居家の先祖である鳥居元忠を祀る。松平竹千代(後の徳川家康)の近侍であった鳥居元忠は、後に家康が三河を統一すると、1558年の寺部城の戦い、1570年6月、姉川の戦いなどで大活躍した。1600年、天下統一間近である家康が上杉征伐の際に、元忠は伏見城の守備を任された。家康出陣後は、兵力が乏しく手薄になった伏見城を石田三成が攻めてくる事が容易に想像できたが、家康も元忠もそれを理解した上で、「それを大義に三成と戦う」ことも考えていた。よって元忠は、伏見城の守備にあたることはすなわち主君家康のために死ぬことだという意味も理解していた。家康は出陣前に、元忠と夜遅くまで酒を飲み交わしたという。長年戦をともにしてきた忠臣との最後の盃である。元忠は奮戦し、最後は自刃して忠義を遂げた。精忠神社にはこのとき伏見城にあった元忠の血の付いた畳を埋めた畳塚がある。
壬生城跡にあります。御朱印は近くの雄琴神社にて頂けます。
戦国武将をまつった珍しい神社。御朱印はありませんが立派な神社です。
鳥居元忠公が御祭神の神社です。無人のわりには立派です。
名前 |
精忠神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=75712 |
評価 |
3.9 |
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2023年9月16日に初めて訪れました。駐車場は近くの壬生町城址公園駐車場に停めて行きました。祭神の鳥居元忠は、関ヶ原の戦いの前哨戦となる伏見城の戦いで討ち死にした武将。徳川家康の命を受け伏見城の主将としていて、元忠が自害した血染めの畳を埋めた「畳塚」が裏手にあり、それほど大きいわけではありませんが、静かで雰囲気も良く落ち着く感じでした。