名護屋城へ向かう一里塚。
太閤道一里塚の特徴
旅の安全を祈る道祖神が祀られている場所です。
豊臣秀吉が通った歴史深い一里塚の名残を感じられます。
竹木場から高野を結ぶ県道沿いにひっそりとあります。
注意しないと見過ごす可能性があります。男友達やカップルなどは楽しいかも🎵
旅の安全と、厄徐の道祖神様として名護屋城を基準に設けた一里塚になります。厄徐と平和な世の祈りの場として参拝させて頂きました。
豊臣秀吉が通った道の一里塚です併せて、道祖神が祀ってあります。
通りからすると木の茂みの中にあるので、こんな所にあるとは気づかないと思います。道祖神を祀る場所は他にもあります、鏡山にもあります。唐津にドライブに来たけど、いつも同じ所にしか行かないからなぁ・・・と思う方は行ってみては。マイナー観光地です。『太閤一里塚』というのは文禄・慶長の役の頃に作られたものとされ、「一里塚」とつく名称の通り、当初は出兵の居城となった名護屋城から1里(4キロ)ごとに松、檜(ひのき)を植え、塚を築き、休憩の場所としたものと伝えられています。「太閤豊臣秀吉は 朝鮮出兵にあたり肥前国名護屋を前迫基地として天正二十年(文禄元年)四月二十五日には 自ら名護屋城に来て指揮をとりました そして 大阪と連絡のため名護屋城大手門を起点として 一里(四キロメートル)ごとに早飛脚二名を駐在させ普通〇〇間かかるところを六日間で連絡させました。この地は名護屋城の一の城戸にあたる所で第三番目の一里塚にあたります。今から三百八十年前数万の戦国の将兵が佐志の坂を上り名護屋城を目前にして 一息ついたところといえます。
えー!と思ったけど、由緒正しき場所でした(笑)
唐津市の竹木場(たけこば)から唐津市の高野(こうの)を結ぶ県道沿いにあります。発祥は豊臣秀吉が築城した名護屋城までの沿道に一里塚を作ったもので、一里塚とは秀吉の部下やその他の大名の休憩場所としてつくらせ、ここの一里塚は名護屋城から数えて3番目の一里塚とのことです。朝鮮出兵後、唐津と名護屋や呼子を繋ぐ道となり、旅の安全や子孫繁栄や五穀豊穣を祈る拠点になったとのことです。古びたぬいぐるみやアンパンマンなどのフィギュアがあり、今でもお供え物が絶えないことから、信仰してる人がいると思います。向かいに太閤一里塚というお店がありますが、新型コロナ対策なのか閉店しています。
400年ほど昔、太閤秀吉が朝鮮と中国への侵攻の際に、名護屋城へ向かう太閤道の途中、一里ごとに塚を築いて休憩所を作ったその名残り。道祖神を祀り、災厄からの守り、子孫繁栄、旅の安全を祈願したのでしょう。
オジサン、オバサンには、うける観光地⁉️
畳三畳分しかスペースなくて、到着しても気付くの遅れた😅
名前 |
太閤道一里塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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これは知らないと気づかない。秀吉が朝鮮出征の時に設けた一里塚があった場所らしいです。道祖神自体はその後の時代のものなのかな。棒と穴だらけです。賽銭箱まで、、笑。