中世山城の壮麗さ、吉良氏の歴史を体感!
吉良城跡の特徴
15世紀代に吉良氏が築いた城跡は歴史を感じさせます。
堀切の竹の橋は少し恐怖感があり、とても見ごたえがあります。
中世の山城の醍醐味を体感できる土佐の名城です。
戦国時代の土佐に割拠した土佐七雄のひとつ吉良氏の居城。吉良城登り口(GF64+87F 高知市、高知県)から登っていきます。付近に駐車可能なスペースあり。道は途中からちょっと不明瞭。多重堀切や畝状竪堀など遺構を堪能するのは、整備されてない山城を歩き慣れた人じゃないと難しいかも。昔は堀切に橋がかけられたりバッチリ整備されていたようですが、荒廃してきている印象です。鞍部の大堀切を挟んで北嶺(主郭)と南峰(2郭)、ふたつの郭群に分かれていて、尾根筋は長宗我部系山城の特徴である多重堀切&畝状竪堀によって守られています。土佐の吉良氏は、源頼朝の弟・希義の子である源希望が頼朝から土佐国吾川郡に領地をもらい、吉良希望と名乗って土佐吉良氏の祖となったもので、吉良上野介で有名な三河の吉良氏とは関係なく、源義朝の五男に発する超セレブ。天文年間に吉良氏は同じく土佐七雄の本山氏に滅ぼされ、本山氏が吉良氏を僭称したようです。その本山氏を滅ぼした長宗我部元親は弟の親貞に滅亡した吉良氏の娘を娶らせて、吉良氏を継がせました。兄の覇業を大いに支えた吉良親貞です。
登城口は西側にあり15分ほどで主郭部に着きます。途中に竪堀が見られます。東側の二の曲輪はまず大きな穴が目に留まります。直径で2,3m位でしょうか、真っ直ぐ円筒形に掘られていました。細長い曲輪で南に緩やかに段曲輪が続きます。本丸に行く前にしっかりV字型で残る堀切があります。本丸虎口には石組があり、南側に土塁があります。本丸北側には4条の立派な連続堀切があります。シンプルな縄張ですが堀切などは深く、さすが吉良氏の本城だと思いました。
堀切は凄い!の一言です。
20歳の時と40歳ぐらいの時にてっぺんまで登りました。堀切とか落とし穴みたいなのがありますが、岡豊城と比べると見劣りします。あれ、これは、吉良氏に失礼な発言かも。
近所の山。上りやすい山道を行くと楽。道を間違うとイバラミチ。
15世紀代に吉良氏が築いた城。その後、本山氏→長宗我部元親。
別名🌠弘岡城土佐大平家の大拠点本拠地の蓮池城と同じ ぐらい重要とされま元は、源頼朝の弟吉良希義の居城で家臣の大平国盛(近藤国平の四男が奪還)吉良希義が平家方の蓮池家と平田家に討たれたが国盛が蓮池家と平田家を蓮池城で滅ぼした平田家(桓武平氏の血を引く)子が讃岐に落ちのび、現在の香川県坂出市に平山城を築いたが400年後に長曽我部家に滅ぼされた蓮池家(源氏方の近藤親家の一族だが平家に従った)子が関東に落ちのびた。
堀切の竹の橋はちょっと恐いけど見ごたえあり。
中世山城の醍醐味が味わえ、土佐の山城レベルが高い事がわかります。主郭下の四重堀切は必見!!
| 名前 |
吉良城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
https://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/90/cas-city-5003200.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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登城口前の道路が隘路なので、近くの保育園の周囲に駐車しました。送迎の往来があって安心でした。