福満寺で城めぐりを楽しもう!
丸毛兼利と福束城の戦いの特徴
福束城跡の近くには、整備された案内板が設置されています。
丸毛兼利は関ヶ原の戦いで西軍に味方していました。
遺構は残っていませんが、城巡りアプリで訪れる楽しみがあります。
福満寺です。福束城主の丸毛兼利は関ヶ原の戦いで西軍につき、松ノ木城城主と今尾城主らに進軍され、やがて落城しました。丸毛兼利は大垣城に敗走し、その後、加賀藩の前田利常に仕えたそうです。10キロほど南にある高須城主も、同じく西軍について、松ノ木城城主と今尾城主らの攻撃を受け降伏したそうです。
福束城の跡と言われているが遺構はわからなかった。版木が残っていてそれが福束城の唯一の資料になっているのだとか。
城巡りアプリ、地域限定城めぐり第二十弾『輪中の城』で訪れました。福満寺境内で駐車場とゆうより建物前に2~3台停めれる程度、入ったら後退で出る必要ありです。城壁瓦観光看板の裏に掲示されています。
何も残っていません。わかりにくいお寺でした。駐車場は2台くらい、入口は狭いです。トイレはありました。
関ヶ原の戦いの時期に福束城跡を治めていた丸毛兼利は西軍に味方する。東軍の福島正則の軍と戦い大垣へ敗走。その後、前田利常に仕えることとなる。城の遺構は確認できず、境内に案内板が設置されてるのみです。近くに揖斐川が流れており、舟運交通の要衝として重要な拠点だったことは窺い知れる。地域住民以外、立入禁止の雰囲気がある排他的な地域です。あまり長居をする場所ではないですね😅
遺構としては残ってはいませんが、福満寺の境内に案内板があります。クルマで行く途中にも案内が出ていたり、そのあたりありがたいところです。
名前 |
丸毛兼利と福束城の戦い |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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遺構は見れませんでしたが、近くに案内板が整備されていて良かったです。