源頼朝が隠れた、しとどの窟。
しとどの窟の特徴
源頼朝が石橋山から逃れた伝説の洞窟です。
道路沿いにありながら少し分かりづらい場所にあります。
真鶴町に位置し、歴史を感じる風情あるスポットです。
行って良かったです。草など整備され、拝見しやすかったです。歴史を感じられ、頼朝公の以降の活躍を思うとご利益もあるように、思います。観音堂がありますが、中のお賽銭箱がひっくり返して倒れてあり、盗難にあったのかな?みたいに放置されてましたが、周りにお金が散乱していましたし、鈴の鐘も中に放置されていて、管理されていないだけか、立派な観音様が可哀想に感じました。お金とか僕が綺麗にするのもなんだったので、そのままにしてきましたが、地元の方か管理されている方か、観音様を大事にお祀りしていただければと思います。
源頼朝が隠れたとの伝承があります。山中に同じように伝承が残された場所にも行ってみましたが、きっとどちらも本当に隠れたのでしょう。
道路沿いにあるのですが、ちょっと分かりにくく通りすぎてしまいます。標識も有りますが注意していかないと駄目ですね……
頼朝が石橋山の敗戦で命からがら房総へと船で逃れる際に身を隠した場所と言われてます。ほんの小さな岩屋です😃でも、歴史のロマンを感じます。
治承4年、伊豆国で源氏再興の挙兵をした源頼朝公ですが、相模国へ軍を進めたもの三浦一党の軍との合流が出来ず、逆に、石橋山で大庭景親・伊東祐親らの平家軍に囲まれて敗れてしまいます。石橋山の戦場から土肥郷椙山に逃れた頼朝公は、箱根権現を頼りますが、土肥郷(現在の湯河原町)に戻って土肥実平に頼りに、真鶴 岩海岸より船出して安房へ渡って再起を図ります。このとき源頼朝公が鵐窟に隠れ潜んだ場所と云われていますが、二か所あります。こちらと土肥郷椙山(現在の湯河原町鍛冶屋)の山中あります。また、源頼朝公ともに逃れた安達盛長、岡崎義実、新開忠氏、土屋宗遠、土肥実平、田代信綱の主従七騎も一緒に隠れ潜んだと伝えられており、後に「源頼朝七騎落」といった能の演目としても演じられるお話しとなります。湯河原町鍛冶屋の山中の「しとどの窟」は行くだけで一苦労、山道で大変ですが、真鶴の「しとどの窟」は波で削られて短くなったり、関東大震災による土地の隆起で現在の高さ・短さになったそうです。そのため、海岸線の道沿いを車で前まで行くことができます。目の前は漁港で賑やかで隠れられる場所ではなくなっています。
昔作られた洞窟。気になるスポットです。
魚座の近くにあります。源頼朝が隠れてたみたいです。
源頼朝が石橋山で破れたあとにこの洞窟内に潜み船で安房の国に逃れたところ。外から眺めるだけで洞窟には入れません。🅿️駐車場無し。
治承4年(1180年)8月、源頼朝は石橋山で大敗し戦場から辛うじて脱出。真鶴半島から安房へ逃れようとしたときに身を隠したのがこの窟とのこと。頼朝が窟に入ろうとした時、しとど(鵐)が舞出たことからの命名だそうです。
名前 |
しとどの窟 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0465-68-2543 |
住所 |
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HP |
http://www.hakone-geopark.jp/area-guide/manazuru/033shitodonoiwayamanazuru.html |
評価 |
3.7 |
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3月中旬の週末に来ました。源頼朝が戦いの後一時身を潜めていたと言われています。小ぢんまりとしていますが散策途中にちょこっと立ち寄りにはいいです。