いつき灘を一望、山頂へGO!
高仙神社 (高仙山城跡)の特徴
高仙山の登山口は300m東に位置し、アクセスが便利です。
山頂直下の駐車場からいつき灘の美しい景色が楽しめます。
急坂の登山道を短時間で登ることができ、手軽に訪れます。
広域農道沿いに「高仙山登山口」の標柱が立っている道ではなく、300mほど東にある円成寺から南に入って、林道高仙線で山頂直下の駐車場までクルマで上がれます。狭い道ですが駐車場まで全線舗装されています。広域農道から林道高仙線の起点まで1.3km、そこを右折して1.6km上がった終点が駐車場です。そこから200mほど徒歩で上がると山頂です。林道の起点の経緯度は「34.03055743497432, 132.88373804355135」です。文字列をコピーしてGoogleマップの検索欄に貼り付ければ位置が表示されます。他に「34.030315197692815, 132.8686279798979」からも、同じ駐車場まで上がれる道がありますが、こちらは狭くて未舗装で路面が荒れてるので、凸凹道マニアの人以外はやめた方がいいです。
下の道から徒歩の場合、やや坂道は急だが、短時間で登れると思います。なんなら中腹まで車で行けるみたいです。(駐車場・公園的な場所がある)頂上の神社の手前に展望台の様な場所があり、とても景色が良い。神社の裏に、定期的に立て替えられると思われる城主やその家臣たちの為の卒塔婆が立てられていた。今でも地域の人達に敬われているみたいである。
車道とみかん山を通ってそれぞれ行く事が出来ます。私が行った数年前は車道が通行止めになっていたので、みかん山を通りました。みかん山の登山道は普通車では走れないような道でした。後日、車道を通って登城しました。で愛ふれ愛ロードの円成寺内から山側に入り、林道東山線、林道高仙線と3キロ程を回り込むように走ると山城跡すぐ近くの駐車場まで行けます。その円成寺もこの山城に所縁のある寺なので、時間に余裕があれば行ってみると良いです。展望台からは怪島城跡も見え、景色が良いです。この山城の遺構としては曲輪、堀切などがあり、見応えもあると思います。
寛治4年(一〇九〇)此の地に加茂別雷神社、貴布祢神社祀られてあったが、数度の遷座の末、賀茂神社は菊間へ、貴布祢神社は岩谷へ移される。現在の高仙神社には加茂別雷神社と貴布祢神社が祀られ、池原神社には城主池原兵部通成以下将を祀る。正平年間(一三四六年頃)伊予の名門河野一族である池原近江守通去が山城を築き居城とする。永禄年間(一五五八年頃)池原兵部通吉が城主となる。天正13年(一五八六)7月豊臣秀吉が天下統一のため小早川隆景に命じて四国平定軍を起こす。隆景は数万の大軍を率い、来島道総を先兵として新居浜に上陸、連戦連勝破竹の勢いで東伊予の諸城を陥し入れ、重茂城、無宗天城を降伏させて高仙山城を攻める。時の城主池原兵部通成は、200余名の兵を率いて大門大松山(伊予亀岡駅付近)に迎えて防戦につとめたが多勢に無勢、大門大松山は破られ(今も此の地に当時の戦死者を祀る仙人塚あり)長谷の山崎の砦も落とされて残兵わずか19名と共に城に引揚げる。高仙山城では決死の攻防が続けられたが、遂に刀折れ矢は尽きはて、谷に充満する大軍を眺めながら、若干19歳の勇将通成自刃し、高仙山城と共に生涯を終える。時、天正13年7月13日、眞っ赤な夕日が西の海に沈む頃であった。(石碑より)
いつき灘が一望できます😃
名前 |
高仙神社 (高仙山城跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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お散歩感覚で登れます👍️(・ω・;)💦