白倉神社で歴史を感じる旅を!
白倉神社の特徴
白倉神社の里宮は、神聖な雰囲気が漂い心が清められる場所です。
伝統的な神社ならではの歴史ある建物が魅力的です。
見応えのある風景が広がる境内でリフレッシュできます。
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4月第三日曜は、春祭りです。
白倉神社(原文)白倉神社 里宮。
白倉神社 里宮。
名前 |
白倉神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.6 |
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小幡氏や白倉氏、多胡碑について調べたことがあるので、白倉城跡を見た帰りにちょっと寄ってみた。本宮はここから南方の天狗山の山中にあり、この社は里宮であるらしい。例祭などもこの里宮で行われる。この地の豪族である小幡羊太夫宗勝が鉱物の神である金山彦命を祭神として祀ったのが社の起源と伝える。宗勝は伝説上の人物で実在したとは考え難いし、神社創建の年が和銅元年(708年)で和同開珎が初めて鋳造された年に当たるのも後世の付会だと思う。この「羊太夫」がここから北東4kmの地にある吉野町の多胡碑に見える「羊」と同一人物だとされ、武蔵国秩父郡で発見された銅を朝廷に献上し、藤原姓を下賜され、多胡郡の郡司に任命されたという。銅の産出地は今の埼玉県本庄市も含むと思うが、平安末に本庄を本拠とする児玉党という武士団の有力構成員である小幡氏が移住してきた。小幡氏の始祖というなら、こちらの方が史実に近い。この児玉党小幡氏は羊太夫の子孫という説もあるが、事実は全くわからない。小幡氏は戦国時代には武田信玄に属して「小幡の赤備え」として勇名を馳せることになる。