目黒の古刹、円融寺で心静かに。
円融寺の特徴
閑静な住宅街に佇む、平安時代創建のお寺です。
重要文化財指定の本堂は、東京23区内で最古の木造建築です。
美しい庭が広がる境内で、穏やかなひとときを過ごせます。
東京都は目黒区に有ります「円融寺」(圓融寺)さんです。創建年は仁寿三年(853)平安時代前期です。約1200年近くの歴史ですね。なかなかの古刹です。最初は天台宗で創建、その後日蓮宗に改宗し、さらに天台宗に戻したと言う歴史が有ります。日蓮宗時代は徳川家や吉良氏の外護(げご)を受けたそうです。(*外護とは僧侶以外の権力者などが、財力や知力などで仏教を保護する事とか)しかしながら、江戸時代中期には日蓮宗は徳川幕府から弾圧も受けており、その際に日蓮宗から天台宗に戻したそうです。(日蓮宗さんは鎌倉時代からよく武家と揉めまてますね)古い現存の物としては釈迦堂(本堂)は東京23区内では最も古い現存の木造建築物で室町時代前期‐中期(1393‐1446年ぐらい)の建立。その他には黒像(仁王門内の阿吽像)が室町時代後期の永禄二年(1559年)に彫られた物。また、梵鐘が江戸時代前期の寛永二十年(1643年)鋳造などが有ります。23区内に有ってなかなか落ち着く場所ですね。是非にブラリと訪れてみて下さい。
学芸大学駅からグーグルマップを頼りに歩き始める。鷹番の町名に江戸時代を感じる。入り組んだ道に難儀をしながら、変則的な桜並木の散歩道出た。呑川の暗渠部を利用したものとのことだが、あのドブ川がと時代の流れを感じた。境内の紅白の梅が美しく迎えてくれた。
853年に円仁が創建したと伝えられる寺院です。本尊は阿弥陀如来。かつては天台宗のお寺でしたが、1283年に日源により日蓮宗に改宗しました。中世から近世にかけては吉良氏や徳川氏の庇護を受けて、多くの末寺を抱える名刹となりますが、いわゆる不受不施の教義を強く主張したことにより、江戸幕府から弾圧を受け、1698年に元の天台宗に戻されました。このお寺にある釈迦堂は室町時代に建てられ、国の重要文化財に指定されています。他にも、1643年に鋳造された梵鐘(国の重要文化財)、仁王門に安置されている金剛力士像(東京都指定文化財)など、多くの歴史的な遺産があるお寺です。
釈迦堂は都内にある国指定重要文化財の一つで、屋根の両脇がツンと立ち上がっている姿が美しいです。江戸中期には品川の東海寺からこの円融寺を巡るのが江戸庶民の遠足として人気があったそうです。仁王門の仁王像はその色合いから「黒仁王尊」と呼ばれ親しまれたと円融寺のウェブサイトに紹介されています。山門から小さな参道、仁王門、釈迦堂の風情は趣があり、梅の開花時期には参道に色合いが足され、また美しく雅です。
初めて通った道で少し気になって寄ってみたら、とても綺麗なお寺でした。つつじが綺麗に咲いていました。東京23区では1番古い木の建築物みたいで、重要文化財になっていました!ちょうどお掃除をされていたので大切にされている感じです。緑も綺麗で癒されました。
蝉に声しか聞こえない、ひとけのない山内。
目黒のお寺。天台宗。よく清掃されています。
平安時代前期、仁寿3年(853)慈覚大師(円仁)の開基と伝えられる古刹で、目黒の閑静な住宅街に有ります。南門から縦一列に門と堂が並んでいます。仁王門は浅草と赤に王と対比される黒仁王。抜けると国重要文化財の釈迦堂。墓地域には王、張本両選手の生前墓、渡哲也さん、西城秀樹さんが眠るお墓が有り、今も多くのファンが参拝されています。2月初めに訪れた時は紅梅が綺麗に咲いていました。
重要文化財指定の本堂(釈迦堂)は、23区内で最も古い木造建築だそう。室町時代初期の様式のその姿は、現代の私の目には「いぶし銀」とでもいいましょうか、そんな渋みと美しさと懐の深さを感じさせる佇まいで、うっとりしてしまいました。仁王門から本堂へと続く境内は、そのまま時代小説の世界に連れて行ってくれそうな雰囲気で、シビレました。
名前 |
円融寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3712-2098 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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週に一度は必ず家族と訪れるお寺です。いつも綺麗にお手入れが行き届いている境内を散策するたび、四季のうつろいを感じながら心も癒されます。23年2月に碑文谷黒仁王像修復開眼法要と堂内特別拝観にも参加いたしましたが、数百年間にわたる立ち仕事から解放され、丁寧に修復され戻ってこられたお姿を拝見でき安堵致しました。またお釈迦様の誕生日にお分けいただいたマーガレットは毎年綺麗ない花を咲かせて元気でおります。