心震える大石主税のお墓。
泉岳寺 大石主税之墓の特徴
赤穂義士の一人、大石主税のお墓がある地です。
大石内蔵助の息子である大石主税の墓は必見です。
屋根がついている大石主税之墓は特徴的です。
大石内蔵助の息子、大石主税のお墓です。討ち入り当時は17歳で、最年少でした。討ち入り後は三田の松平家に預けれ、そこで切腹をしました。僅か17歳でしたが、元服をしていると言うことで切腹を命じられました。切腹の決まりで、身分の高いものから腹を切ると言うルールがありました。その為松平家では最年少の主税が1番最初でした。その際、剣豪の堀部安兵衛が「主税殿、我々も後から続きますぞ!」と言い、主税はニッコリと笑い見事に切腹を成し遂げました。その堀部安兵衛のお墓は主税のお墓の隣にあります。
大石親子のお墓には屋根がついています。
屋根がついています。
■大石主税之墓東京都港区高輪にある墓石。泉岳寺にある大石主税の墓。●大石主税の墓石は標石と共に祠に納められてある。左手隣りに堀部安兵衛之墓が並ぶ。預かり屋敷毎に亡骸が扱われた様を想像すると生々しく哀しい思いがする。
大石主税のお墓、ホンモノだと思うと、ちょっと心が震えます。
名前 |
泉岳寺 大石主税之墓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3441-5560 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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大石良雄の息子であり、赤穂義士の一人です。通称は主税でこちらで呼ばれることが多いようです。元禄14年(1701年)3月14日(4月14日)、主君である浅野長矩が江戸城松之大廊下で吉良義央に刃傷に及び、浅野長矩が切腹し、赤穂藩が改易となった時(元禄14(1701)年)、良金は数え年で14歳の元服前だったそうです。吉良邸討ち入りの際は最年少で参加し、敵討ち本懐後は松平家にお預けとなりました。元禄16年(1703年)2月4日に松平家家臣波賀朝栄の介錯で切腹し、泉岳寺に埋葬されました。