水害救済の神社、岡古井通殿神社。
通殿神社の特徴
岡古井通殿神社は水害救済の由来を持ちます。
奥州の修験者による創建の歴史が魅力。
厳島神社が勧請された特別な神社です。
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地元の神社。昔、砂丘跡だったと思う。
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岡古市会館の近くにある神社。
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名前 |
通殿神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
048-559-0464 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.0 |
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岡古井通殿神社(おかふるいつうでんじんじゃ)御祭神 市杵島姫命由緒通殿神社の創建は、社伝によると、その昔この地を訪れた奥州の修験者が水害に苦しむ村人を見て、救済するために一念発起し、厳島神社を勧請したとされています。社名は、蔵王権現が訛る過程でザオウドノから、ゾウドノ、ズドノと転化し「通殿社」となったとされています。今でも名残から「権現様」と呼ばれるといいます。御祭神は市杵島姫命で、宗像三女神の一柱で弁天様と同一視されている水の神様です。市杵島姫命は温和な女神であるため、神輿を揉んだり獅子舞を舞って奉納したりすることはないといわれています。嘗て一度、天王様の神輿を作って担いだところ、白い大蛇が表れて田畑を荒し、村に疫病が流行ったといわれています。それ以降神輿は他所へ譲られ、賑やかな祭りは行わないようにしたといいます。一説にその白蛇が御神体になったとも伝えられています。地名の由来長暦三年(1039)合の川の氾濫による大洪水で、不動明王がこの地に流れつきました。不動明王を拾い上げたところ地面が揺らぎ、地震が起きました。洪水で騒いでいたところを続けて起こった天変地異に村人はたいそうおどろきました。お不動様が怒ったに違いないと考え、慌てて不動様を川に戻して流すことにしました。この不動様を拾い上げたところを岡古井村と言い、それは岡震えから岡古井と転じたといわれています。その後、川の流れに戻されたお不動様が行き着いた先は、岡古井の東にある岡村というところでした。合の川の中州に留まるお不動様を村人が拾い上げ、不動明王を祀ることにしました。現在の加須市の総願寺、地名は不動岡になったといわれています。岡古井では、不動様は隣村に流れて行きましたが、疫病除けの信仰を守りながら暮らす村の人々を、権現様は静かに見守っているといわれています。(ブログ「皿尾城の空の下」参照)