富士講の掛金で寄進された歴史。
姫宮神社の特徴
天正2年の釜無川氾濫記録が残る歴史ある神社です。
宝暦六年に富士講が寄進した林が隣接しています。
新しさの中に昔の面影が感じられる魅力的な場所です。
新しくなり又昔の面影が残っていてよかった。
宝暦六年(1756)に、富士講の掛金をもって、隣接する32m×18mの林を購入して当社に寄進している。このことから、境内にある鏡石は富士講の関わりを想像できる。なお、国道20号線によって境内の一部を供出した際に鏡石が移設された。しかし、穴から富士山を遥拝できない方向に据え付けてしまった。平成28年社殿を建て替える際に、この鏡石の本来の目的が叶うよう移動し直されたことは喜ばしいことだ。また、本社は富士川舟運の港を守る宗像三神を祭神としている。
名前 |
姫宮神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/6016 |
評価 |
3.2 |
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天正2年の釜無川の氾濫の記録が残る。❶【参考 姫宮神社 峡北神社誌 1962年】[祭神] イチキシマヒメ タギツヒメ タキリビメ (三女神)当地は慶長(1596年~1615年)の初期、富士川より渡船にて南方よりの物資の到着場所であった。小岡村の産神として舟運の安全を祈願するための神社である。天正2年 釜無川により、小岡村流亡し離散せるも、又、徳川時代韮崎宿の発展と共に下宿の守護神として存在している。[境内神社] 稲荷社 天神社外20社[社殿および建造物] 道祖神、石灯籠、連中石 駐蹕碑(大正天皇東宮時代) 鏡石1基(円形、三尺余り、中間に1尺あまりのあなありて、遠くを望めば霊峰富士を丸鏡の中に見るが如しと) あづまや。