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武蔵野線沿線にある公園で、この公園の地下には遺跡の一部が眠っています。遊具はブランコ、滑り台、砂場とベンチがあります。また、遺跡の掲示板も設置され、次の様に記載されています。印内台遺跡群1・2・43次調査地点(西船3丁目)「印内台遺跡群はJR西船橋駅から北方の西船3・4丁目及び印内2・3丁目一帯に広がり、古代(古墳時代後期・奈良・平安時代)と中世(12〜16世紀)の大集落遺跡です。遺跡の面積は約69万㎡と広大であり、古代の下総国葛飾郡栗原郷の一部に含まれます。遺跡は標高16〜20mの東京湾を臨む見晴らしのよい台地上にあります。1・2・43次調査地点は印内台遺跡群の一部であり、この公園のあるマンション建設工事に先駆けて昭和53・54年と平成17年に発掘調査されました。本地点では古代の竪穴住居跡160軒、収穫した稲の収蔵庫などに使われた掘立柱建物跡11棟、側溝を含む幅約11mの大型道路跡、古代の牧に関係する馬の骨、古代・中世の貝層、古代の役人が使った円面硯、墨書土器、東海地方などから運ばれた須恵器・灰釉陶器、毛彫りのある金銅製の馬具金具、皇朝十二銭の一つである富寿神寳などが発見されました。多くの竪穴住居跡や掘立柱建物跡、普通の集落では見られない数々の優品が出土していることから、この地点は広い印内台遺跡群の中でもムラを治める有力者がいる中心的な場所の一つでした。印内台遺跡群が古代の大集落として発展した理由は、東京湾沿いに古代東海道が通り、これに面する広い台地上に立地する陸海交通の要衝であったこと、また古代の下総国のみやこである下総国府(市川市)から約5kmと近い場所にあり、古代律令制社会において印内台遺跡群のムラが国府周辺の郷として衛星都市のように繁栄したことなどがあげられます。なおこの公園の地下には遺跡の一部が保存されています。平成28年3月船橋市教育委員会」