土居宿西惣門で歴史を感じる。
旧出雲街道 土居宿 西惣門の特徴
復元された土居宿西惣門が見どころです。
維新志士顕彰碑が建立されていて興味深い。
美作市立土居小学校近くに維新志士の墓があります。
復元された門と維新志士顕彰碑が建立されています美作市立土居小学校校庭南側には4人の維新志士の墓があり向かいの民家には土居宿東惣門跡の看板がありますが遺構は残っていません。
四ツ塚志士顕彰碑。出雲街道土居宿。
| 名前 |
旧出雲街道 土居宿 西惣門 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0868-75-1111 |
| HP |
http://www.city.mimasaka.lg.jp/kanko/spot/history_culture/old_highway/1469777059990.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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土居宿西惣門の復元です。姫新線美作土居駅のすぐ近くにあります。【以下説明】この惣門は、慶長年間(1596年から1614年)に幕府による出雲街道の整備にあたり、ここに美作七駅の1つとして土居宿駅を定めた際、東と西の出入り口に関門を設け、朝夕門番によって開閉し、国境の警備のために建築されたもので、明治2年の関所廃止令により取り壊されたものを平成13年3月復元建築したものです。門の造りは、高さ6メートル50センチ、幅7メートル88センチで高麗門形式です。宿場町の両端に惣門を備えていたのは全国的にもまれな事例といわれています。門のとなりには四つ塚志士顕彰碑が建てられており、その呼称にもある通り4名の人物です。彼らは幕末の時期、1865年に尊王派の志士として、同士を募るために各地を回っていました。岡山県を訪れたのも、その目的でした。しかし現在の美咲町百々(当時、百々村)でトラブルに巻き込まれます。同士を募り、金銭的なバックアップを依頼してきた4人に対し、ある商人が彼らの行動が、ただの金銭目的であると糾弾したのです。4人はその誤解に腹を立て、一触即発の雰囲気になってしまいました。そこで商人の家の者が金銭を渡す事で、和解して事無きを得たかのように思えましたが、商人本人は腹が収まらなかったのか、その金銭を渡した事実を曲解するように住民たちに伝え、4人の志士を強盗に仕立て上げたのです。事態を誤解した住民たちは、志士たちを追い詰めていきました。弁明も叶わず、執拗な追跡の末に、4人はやがて自害し、絶命していきました。気分が高揚していたのか、彼らを追っていた住民たちは、その死体にまで攻撃を加え、損壊させたそうです。しかし自害する前に志士が残した遺書などから、4人が強盗などではないという事実が明らかになっていくと、逆に住民たちへの批判が起こります。そこで、4人に対する慰霊や、世間からの批判への対策として、顕彰碑を作ったのです。それがやがて、四ツ塚様と呼ばれるようになりました。美作市土居地区が、4人の志士が逃げ切れないと観念し、それぞれ自害をした場所だった為、石碑が建てられました。