足利義昭が名乗った地、還俗の歴史探訪。
矢島御所跡の特徴
覚慶が還俗した歴史的な石碑がある場所です。
足利義昭公がいらっしゃった歴史的なスポットです。
滋賀県守山市矢島町の文化遺産が魅力です。
矢島御所跡の北西に矢島城跡があったようですが、現在民家私有地のため入れず。外からこの付近かな?と想像したのみ馬《●▲●》助ヒヒーン♪
石碑あり。跡地は公民館。
石碑があります。
覚慶が還俗して足利義昭と名乗った場所。
足利義昭公がいらっしゃった所です。
| 名前 |
矢島御所跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
2.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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真田戦記矢島御所足利義昭の還俗デビューの館跡今日は守山市矢島の矢島御所前に行きました。 この矢島御所において永禄9年(1566年)2月17日、正統な血筋による将軍家を再興するため、覚慶は還俗し足利義秋と名乗ります。地元領主の六角承禎も当初は上洛に積極的で、和田惟政に命じて浅井長政と織田信長の妹・お市の婚姻の実現を働きかけていました。この義昭や六角承禎の動きに対して三好三人衆の三好長逸の軍勢3,000騎が突然矢島御所を襲撃してきましたが、この時は大草氏などの奉公衆(親衛隊)の奮戦により、からくも撃退することが出来ました。さらに六角承禎も三好三人衆と密かに内通したため、若狭経由で越前の朝倉義景を頼り、上洛への助力を求めました。