千野氏の城跡で歴史を感じる。
大熊城跡の特徴
標高812mの絶景が広がる、特別な観光スポットです。
室町時代に千野氏の居城として歴史的価値を持っています。
諏訪大社との対立の歴史が感じられる場所です。
諏訪湖越しに北アルプスを遠望する。
千野氏の城とされ、武田晴信に攻められ落城している。城の南側半分近くが中央道の建設で壊されているが主郭周辺は現在の畑地ながら土塁や堀などわりと良好に遺構が残っている。有賀城とセットで訪れると良いでしょう。
大熊城(810m/40m)遺構:土塁,堀城主:千野氏歴史:築城年代は定かではない。千野氏の居城と伝えられる。文明15年(1483年)に諏訪氏は惣領家と大祝家による内訌が激化するが、このとき千野氏は惣領家に属し、大祝家に属した下社の金刺興春と戦っている。天文11年(1542年)武田信玄と高遠頼継が結んで諏訪へ侵攻した。このとき大熊城には千野入道兄弟が立て籠もっていたが、武田氏に攻められ落城した。説明:大熊城は諏訪大社上社本宮の西1km強の位置にある大熊集落の背後の丘陵に築かれていた。中央道の建設により全面的に発掘調査が行われており、堀・建物跡・土橋が検出され、中世の瀬戸・常滑・鉄釉天目茶碗が出土したという。現在城址は中央道によって分断されている。中央道の北側の畑の所に案内板が設置されており、この辺りが主郭、北西側に二郭・三郭、南に四郭・五郭・六郭があったようである。案内:諏訪西中学校の南東側に北方御社宮司社があり、その前の道を道なりに東へ進むと中央道に架かる陸橋に出る。その手前に案内板がある。
行きやすくて可愛いお城跡の諏訪大熊城。
標高812m、比高約50mで車が横付けできる。中央道でぶったぎられて削られた城跡あるある(^o^;畑の間に堀跡があって発掘調査では深さ7mあったらしい(^o^ゞ奥のお墓辺りも城域っぽいトコがあるケド、改変されててワカラナイ┐( ̄ヘ ̄)┌眺めがイイトコだったよん♪
築かれた年代は不詳だが室町時代には千野氏の居城として登場し諏訪大社の上社と下社との対立に巻き込まれていたことがわかる。千野氏は上社大祝家に属して下社金刺氏と争っていたが、天文11年(1542)に武田信玄の諏訪侵攻により落城し6年後に破却されている。武田氏の修築は多少はあるのかもしれないが、現存する遺構のほとんどは千野氏により築かれた当時の姿を残していると言えるだろう。南方御社に土塁と堀切が残り高速道路の反対側にもわずかな堀切の痕跡を残す。主郭から坂道を下る途中にも畑となった郭が連なり立派な空堀が残っていた。大熊城の遺構の中でもっとも旧態をよく残す部分だと思う。
| 名前 |
大熊城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
この場所にかつて城が存在したというだけで感慨深いものがある。