奥出雲の五十猛命を祭る。
伊賀多氣神社の特徴
伊賀多氣神社は五十猛命を祭る神社で、地域に愛されています。
横田郷にある四段の長い田が由来の美しい場所です。
総本社は紀州の伊太祁曽神社で、歴史的な背景があります。
五十猛命とは素戔鳴尊のご子息らしい素戔嗚尊とは中国を治めた始皇帝の遣いらしいらしいだらけの出雲古代史いたる神社に五十猛命と素戔鳴尊の名が記してある地域でした。
伊賀多気神社(いがたけ神社) 奥出雲町祭神は、素戔嗚尊の御子五十猛(いそたける)命です。神社の創建は垂仁天皇の御代(紀元前29年~70年)、御神像2体を安置したのが始まりと伝えられています。(現在の御神像2躯は鎌倉時代に製作されたもので檜材、一木造、瞋目像の像高113cm、微笑像の像高111cm、昭和48年:1973年に島根県指定文化財に指定)。天平5年(733)に編纂された出雲国風土記には「伊我多気社・神祗官社」と記載されています。延喜式内社は仁多郡内には三沢の三沢社が記載されているだけです。当時、この他に8社あったのですが、いずれも出雲の国庁の神名帳に登録されるのみで官社に準じて祭祀を行う社とされていました。五十猛(いそたける)命は大蛇の荒らした山野に種子を播き、治山・治水を指導しました。更に、日本全国に植樹・育林を奨められたので、山林の守護神・樹木の神様として林業関係者の崇敬が厚かったと伝えられています。
伊賀多気神社いがたけじんじゃ島根県仁多郡奥出雲町横田1278祭神五十猛命父のスサノオノミコトと朝鮮へ行き木の種を持ち帰り日本で植林する五十猛命を祭祀している総本社は紀州の伊太祁曽神社です。
出雲国風土記によると横田郷の名は郷内にある四段ほどの形の長い田があることに由来するとされる。地名説話としてはへたな部類か。神社年間の由緒には垂仁天皇の時代、御神体二体を刻み、社造して祀るとある。相当に古い神社と伝わっていた。伊賀多氣神社は『雲陽誌』(享保六(1,717)年編纂の松江藩の藩撰地誌)では五十猛神社と記されている所から見れば、またオロチ伝説の地にふさわしい神ではある。もともと、現在より川上の五反田の東辺からそう遠くない所にあったと言う。大呂神社か鬼神神社の辺りであろうか。どちらにしても、鳥上峯とされる船通山に懐かれる地域である。 天文年間(1532?1555年)に横田郷を尼子氏が制圧し、藤ヶ瀬城下の鎮守となった代官森脇家真と五反田屋の手によって、現在地へ遷し、再興されたという。
地域の人達に大切にされています。
| 名前 |
伊賀多氣神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0854-52-0346 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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