桐原城跡の遺構が魅力。
桐原城跡の特徴
小笠原氏の傍流が築いた桐原城跡の見事な石垣群です。
雪化粧した桐原城は美しい風景を楽しめます。
中世城郭の遺構がしっかりと保存されている場所です。
入口を誤るとなかなかたどり着けないので注意が必要。猿よけのゲートは、右側の扉をあけて、すぐに斜面を登るのが正解。車道は歩かないように。
10/25/2023山辺ワイナリーに車を止め、ひたすらに坂を登った。柴宮社という飛鳥時代の「霧原の牧」から続くという神社を過ぎ、「桐原城址」の掲示がある登山口まで30分ほどか。入口には鉄製の大きな開閉門があり、そこを開けて中に入る。山のシカが果樹園に出てこないための措置と思われる。桐原城は室町時代、1460年に信濃守護として甲州からやってきた小笠原氏の幕僚となった桐原氏が、5代にわたって居城とした山城。1550年塩尻峠を超えて雪崩込んだ武田信玄の軍勢に恐れをなした小笠原が林城から逃散し、桐原城も戦うことなく城を明け渡し、以後廃城になった。鉄扉から中に入って1時間は歩いたろうか。ガードレールの付いた舗装道から、未舗装の道と歩き続け、道はどんどん狭くなったが、案内板などは一切ない。ただ、古い石垣の跡がそこかしこに見えるようになった。城は山の中腹にあったと言うが、風景から想像すると城の上部はほとんどが石垣に囲まれていたのではないか。500年前を思い浮かべ、また挑戦しようと思いながら、帰途についた。
小笠原氏 城跡の桐原城。石積が凄い!小さい郭にも石積を使い、登って来る者を圧倒する凄さ!感動する山城です。
小笠原氏傍流の桐原氏の城跡。駐車場は無い。獣除けのフェンスを抜けて、あまり人の行かない登城路を登る。巨大な堀切の先に段郭群、そして大きな堀切を越えると石垣に覆われた主郭部に到達。いつ崩落するかもわからない微妙なバランスの石垣を見ながら主郭へ。展望はあまり無いが、信州の近世期以前の城郭を堪能できた。
標高952m、比高約212m前回は大手からだったので今回は海岸寺側から登った🧗新しい縄張図付きの説明板に無料パンフレットが置かれてた👌ナイスデスネ獣フェンスはパイプを上にずらして開けるタイプでチョイムズイ➰😅竪堀♪を ひたすら登ると大手道に合流した (;^_^A ゼーゼー連続堀切♬を越えるとさらに堀切♬に土塁♪にウッスラ石積み♪数えきれない段郭♬に虎口石積み♬畝状竪堀群は雪景色🎵🙌主郭の土塁も良く残る♬さらに背後に連続堀切♬などなど遺構のデパートや~(古)2022/3月の桐原は☃️雪残ってて とっても美しかったです👍️ちなみに桐原城と海岸寺遺跡の発掘調査報告書がネットで見れるよんスマホだと見にくいケド➰😅
※桐原城跡 (950m/190m)長野県松本市入山辺別名:蓮法城文化財指定:県指定史跡遺構:石垣,土塁,郭,堀城主:桐原氏歴史:寛正元年(1460年)桐原真智によって築かれたと云われる。天文19年(1550年)武田氏が埴原城(伝:イヌイの城)を落とすと、小笠原氏の林城・深志・岡田・桐原・山家の五か所の城は自落したという。登山口から登り始めて尾根先へまわりこんだ辺りから堀切や雛壇状の小段が連なっている。主郭は標高948m付近にあって背後をコの字状の高土塁と堀切で断ち切っている。 主郭から西へ続く主郭部の曲輪群には多くの石積が残り、虎口も明確に残っている。尾根には無数の堀切が施され、大半の堀切は竪堀として伸びている。主郭の背後にも石積を伴う二重堀切があり、その先の尾根にも堀底道状の変則的な竪堀がある。案内:登山口は追倉沢側にある。地図。入口の標柱に現在地より50分、比高212mとありますが主郭までの比高は150mほどしかありません。
石垣が崩壊している箇所は有りますが、とにかく素晴らしい石垣群と、二重堀切や大竪堀などの土の遺構も素晴らしい。石垣も土の遺構も一級品の桐原城、山城好きなら楽しめる事は間違いない。
林城などと比べれば規模は小さいが、中世城郭がよく保存されている。現地の看板をそのまま写す。『室町時代にかけて、信濃国守護として君臨した小笠原氏の幕下で、桐原の地を領した桐原氏が林城の市場として構築し、寛正年代(一四六〇~)から桐原氏五代にわたって相伝したといわれるが、天文十九年(一五五〇)林城落城と共に落城し、その後、廃城とされた。主郭部には、土居、石垣・空濠等の遺構があり、往時の姿を偲ぶことができる。林城の市場として小笠原氏防御線の一連の城砦として、山辺谷の入口を防衛する重要な位置にあった。城の構造は小規模ではあるが、複雑で長年に渡って使用された例として歴史的価値も高い。』
石垣の遺構が素晴らしいです。
名前 |
桐原城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.5 |
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2024/6/10朝倉城→桐原城朝倉城攻城後、バイクでこの城に来ました。登城口の防獣フェンスの威圧感が半端ない(笑)頂上部まで向かう道中、案内板が設置されており、安心して進めました。要所に堀切や土塁、竪堀などの遺構がしっかり残されてました。圧巻なのが山頂、主郭付近にある何重にも張り巡らされた損傷の激しい石積群です。一面苔に覆われているところや、木が石積から生えているところもありカンボジアの世界遺産タ・プロームやラピュタの舞台に似てるなあと思いながら石積に魅了されぐるぐると歩きまわって、いざ下山しようという時に帰りの方向を見失っていて焦りました💦帰路は乾燥した落ち葉に足をとられたのもありますがこの日すでに2つ目の山城だったのでヘロヘロで登城口に戻ってきました。この後近くの林城址など攻め落としてない城がいくつかあるので攻城したかったのですが、時間も遅く疲れてたので久方振りに松本城を見て癒されることにして勝鬨を上げてこの地を後にしました。