伊吹山麓の京極氏遺跡、歴史を感じて。
京極氏城館跡の特徴
伊吹山の麓に位置し、自然に囲まれた素晴らしいロケーションです。
16世紀初めに京極氏が築いた歴史的な守護館の跡が存在します。
雪の伊吹山の景観が広がる、静かで神聖な空間が魅力です。
この京極氏城館跡と上平寺城、弥高寺を合わせて京極氏遺跡として国の史跡に認定されています。近くの伊吹山登山者用駐車場を利用できます。近江の守護は代々同じ佐々木氏系の六角氏が独占していましたが、北近江の実権は京極氏が握っていたと考えられています。半国守護とも言われます。京極高清がこの上平寺に本拠を移し、ここに城館を築きました。周辺の城下町も整備したそうです。京極氏城館の他にも弾正屋敷、隠岐屋敷、蔵屋敷などがあったようです。詰の城として上平寺城を築きました。ここから約45分ほどかかります。
豊かな自然に囲まれたロケーションです。庭園跡からも当時の面影を感じることができます。
近江国守護の京極高清によって造られた城館跡です。この館の後背には戦用の詰め城として、上平寺城が築城されました。伊吹神社のある場所が京極氏城館跡。建物等の遺構などは一切はりませんが、荒れ果てた庭園跡が当時の武家庭園の面影を残している様な気がしました。駐車場は伊吹山登山口の駐車場を利用します。
伊吹山登山の際に訪れました。京極氏は、近江の豪族で、近江をはじめ多くの守護職を得た佐々木氏の一族であり、南近江を領した一族の六角氏に対し、北近江を領し始祖氏信以来多くは山東町の柏原館を本拠とした。15世紀末からの一族の内紛を永正2年(1505)に収めた高清は、柏原館を廃し、伊吹山南山麓の上平寺に新たに城館を築いたのである。城館は、大永3年(1523)の国人一揆により落城するまで、戦国大名の城館として北近江の政治・文化の中心として機能したのである。京極氏遺跡は、京極氏館跡、上平寺城跡、家臣団屋敷跡及び山岳寺院を軍事的に取り込んだ弥高寺跡から構成される。館跡は、標高340m余の山麓に位置し、上平寺館若しくは上平館と称され、その一角に当主の居住する館が60m×40mの規模で遺り、奥に2箇所の池と巨石を配する庭園跡が所在する。なお、当地には古代に起源をもつ大谷寺(上平寺)が所在し、この遺構を活かして館として整備したと考えられている。また、弾正屋敷、隠岐屋敷、蔵屋敷、厩などの地名が残り、館跡の隣接地には伊吹神社や京極氏一族の墓所などが所在している。
伊吹神社の下、静かな処です。ゆったりとした時間が過ぎてました。
16世紀初め京極氏によって築かれた守護館と詰の城のセット。その後、元亀年間に浅井氏ご改修したそうで、より進化した設備を備えている。駐車場から約1時間の登り、重臣屋敷地、各郭、堀、土塁などが楽しめる。本丸奥の大堀切も見ごたえあり。
今現在は杉小林に成っていますが素晴らしい舘だと、創造できます、一度出かけては。
雪の伊吹山の麓、当時は霊力荘厳な都であったでしょう。
| 名前 |
京極氏城館跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
庭園があったであろう場所は、池が2ヶ所あった痕跡と岩が残っています。これを見ながら頭の中で当時の庭園を造りましょう。