貫禄ある鳥居と美しさ。
倶利伽羅神社の特徴
鳥居の貫禄があり、訪れる価値があります。
100段余りの急勾配の階段があるので注意が必要です。
メイン通りから少し入った静かな場所に位置しています。
地域に大事にされているんですね社が外壁で囲われてました100段程の階段を一気に上がったので脚がガクガクになりました。
明治以前、江戸のころの神社名の読みを 便宜上 小白社(こはくしゃ)としたが、「しょうはくしゃ」かもしれないし、全く違う読みなのかもしれない。近くを流れる津幡川を別名小白川(こしらかわ)と称する様なので、「こしらしゃ」が正解なのかもしれない。明治時代に多くの神社を合祀したために祭神が多く、最初の小白社の時の祭神はと思ってしまう。❶【参考 石川県の研究 第2 大正7年・1918年】倶利伽羅神社(大正7年の書による)[祭神]天照大神(あまてらすおおみかみ・主神)伊弉諾命(いざなぎのみこと・男神)木花開耶姫命(このはなさくやひめ・安産、縁結びの神)火結命(ほむすびのみこと。火の神)罔象女命(みつはのめのみこと・水の神)埴山姫命(はにやすひめのみこと・土の神)菊理姫命(くくりひめのみこと・縁結びの神・白山神)誉田別命(ほんだわけのみこと・応神天皇・八幡神)天満大神[由緒・由緒]勧請の年月は不詳である。明治39年 神饌幣帛供進神社に指定される[社号の変遷]明治以前は 「小白社(こはくしゃ)」と称していた。明治29年に 「小白神社」と改称した。明治40年に今の 「倶利伽羅神社」となる。[合祀]明治40年4月16日 富士社(同字 無格社)、河内社(同字、無各社)明治42年5月1日 白山社(同村字山森 村社)、藤又神社(同村字上藤又 村社)[移転]明治40年7月16日 ヰ39番地乙に鎮座していたが、現在の地に移転した。[鎮座地] 河北郡倶利伽羅村字竹橋。
倶利迦羅不動寺にはよく行ってますが倶利伽羅神社は不意にネットで見つけて初めて行きました。写真では奥行きが無いように見えたけど実際は階段がキツかったけど、この雰囲気とても良いです!宮司さん宅で御朱印いただきながらお話しさせていただきました。
少しわかりにくいところにありました専用の駐車場はありませんパワーが凄い急に風が吹いてきて歓迎されたと思いますまた訪れたいですありがとうございました。
池田九華(いけだ・きゅうか)作の四曲一双(よんきょくいっそう)からなる「源平倶利伽羅合戦図屏風」が保存されている神社です。鳥居を過ぎると、長く延びた急勾配の階段があり、その先に本殿があります。本殿は、新しい建屋に囲まれています。駐車場はありません。「源平倶利伽羅合戦図屏風」を見学する場合は、事前に連絡が必要です。なお、道の駅「倶利伽羅源平の郷」の案内棟にレプリカが展示されています。
倶利伽羅神社、メイン通りから入った所です。
恵方参りに伺いました。人気がなく、静かで雰囲気のあるところです。階段を一気に上がるとキツいですが達成感があります。おみくじもありました。今後もよろしくお願いします。
鳥居がめっちゃ貫禄あります。
100段余りの急勾配の階段、気を付けて☺️
| 名前 |
倶利伽羅神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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夜に行ったのであまりはっきり見えなかったけど、とてもきれいだった。