油まみれの大黒様で願掛け。
油掛大黒天の特徴
油を掛けてお参りするユニークなスタイルが特徴です。
自然豊かな環境で四季を感じながらお参りできます。
昭和六十二年に創建された新しい神社です。
油を掛けて願掛けする。入り口わかりづらい。
八幡原工業団地と竹井の間に鎮座する油まみれのテッカテカの大黒様です。芸能神社としても知られている神社です。500年前に誤って油を掛けてしまったところ、罰があるどころか商売繁昌し、良縁結実したことが始まりらしいです。この神社は参拝作法が面白く、正面でペコッと一礼したら左にある大きな 秘仏珍宝大明神 を奉撫します。参拝者が撫で回したのかツルツルです。ちなみに、この珍宝大明神は笹野一刀彫りの名工 6代目 戸田寒風 作。それに向かい合うように芸能の神様で、地域の集いと世の太平を願う 天鈿女命(アメノウズメノミコト) が祀られています。天鈿女命 は、世界が闇に包まれた時に、天照大神が隠れた岩戸の前で淫らな姿で楽しそうに舞を踊って、岩戸を開いたとされる日本最古の踊り子とも言われる有名な女の神様です。珍宝大明神を奉撫=天鈿女命に拝礼 ということでしょう。日本神話でもそんな一幕があったのかもしれませんね。次に、右に祀られている竹井稲荷大明神にペコッと拝礼したら、杓子を取って、油掛大黒天の右側から油をすくってトロっと掛けます。そして、二礼二拍手で拝む or 線香をあげます。最後に、ペコッと一礼したら以上です。音だけまとめると、ペコッ、ツルツル、ペコッ、トロっと、ペコペコ、パンパン、ペコッです。「芸は身を助ける」とも言いますから、竹井や八幡原に訪れたら、商売や芸能の関係者でなくとも、一度この神社を訪れてみてはいかがでしょうかね。奉納は、米澤新聞社が中心となって近隣の企業・住民が守り繋いでいました。コロナ禍で米澤新聞社が廃業されるらしいので、この神社にもあおりが来て廃れて終わないことを祈りっています。
油を掛けてお参りするスタイルたまに行きます静かですあまり人が来て混むと言うことはないかな自然豊かでもあるから四季を感じれます商売されてる方には特にいいのではないかなー。
昭和六十二年の創建ということで、比較的新しい神社です。地域と企業の交流の場をつくることを目的に、京都の大黒天より分霊を受け創建したそうです。そのためか、個人的には参拝方法など斬新でした。社殿のなかには大黒天像、無量珍宝大明神、稲荷大明神の3体が祀られているのですが、お珍宝大明神を撫で、大黒天像に頭から柄杓で油をかけるというものです。商売繁盛や良縁結実に御利益があるそうなのでぜひ。駐車場はないようだったので、少し離れますが八幡原公園から歩いていくのが良いかと思います。写真撮影月 令和2年11月参考文献『米沢の神社・堂宮9 -上郷地区-』米沢市教育委員会。
山形県民のソールフード「芋煮」会のお肉は、ここ米沢では当然ながら「米沢牛」でした。私の故郷の山形県庄内地方では、「芋煮会」のお肉は豚肉以外にありえません。生まれて初めて、ここ油掛大黒天の境内で米沢新聞社の社長だった清野幸男さん主催の芋煮会でご馳走して頂いた「牛肉入りの芋煮」は、ある意味で庄内人の私にとってはカルチャーショックでした。清野先生の故郷である米沢を想うエピソードは、毎年5月に行われた「故郷訪問フライト」に集約されていると思います。この行事は、日本航空が経営破綻する前年の2009年まで三十数回の永きに渡って毎年5月中旬に行われて来ました。山形県置賜地方の各中学校の3年生の代表者を招待して乗せた旅客機が故郷である旧上杉藩領だった置賜盆地上空を飛行するという壮大なプロジェクトでした。清野先生の想いは、空から見るとちっぽけな米沢から視野を大きく広げ世界に羽ばたく人材を育成したいということだったのでしょう。何度かご一緒させて頂きました。私にとってもこの経験は一生の宝物になりました。
| 名前 |
油掛大黒天 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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