高山城跡の紅葉狩りを。
高山城跡の特徴
江戸時代初期に金森長近が築いた戦国時代の城跡で歴史を感じられます。
高山陣屋から徒歩5分の登城口から、本丸跡地まで楽な道のりで散歩に最適です。
大手門の大きな石を使った石垣や紅葉の美しさが訪問者に好評です。
頂上部が1番開けた土地になっており、ここに本丸があったのだろうと感じさせてくれる。金森氏が出羽に飛ばされた後、城は解体されてしまったらしい。
山全体が公園的な感じで、その中に城址跡があります。と言っても、ほとんど何もない状態なので、在りし日をしのぶには、想像力をたくましくして、望まないと何もないと感じるだけかもしれません。公園ととらえると、それはそれでいいかもしれませんが。写真は2014年10月のものです。
朝のジョギングで訪れる。標高も高く無いので、走れば直ぐに登頂出来ます。その分景色はそれ程でも無いです。山頂は高山城跡となっており、熊除けの鐘が設置されておりました。出来れば登る前に注意喚起して欲しいかな(汗)
ふもとの高山公園から歩いて登城しました。最初は遊歩道のハイキングコースですが、途中から山城だけあって、それなりに登山道を歩きます。ゆっくり歩いて往復1時間ぐらいかかりました。クマの目撃があるそうで、登山道の途中では熊よけのベルが設置されていました。靴はしっかりした装備で行きましょう。途中、石垣や堀は綺麗に残されていました。天守はないですが、飛騨の山城の雰囲気と高山の街を拝むことができます。
豊臣秀吉の時代から江戸時代中期に至るまで飛騨高山周辺を統治した高山藩の藩祖、金森長近が築いた平山城です。観光客がわんさと詰めかける高山陣屋は、元をたどれば高山城の下屋敷であり、商業が発展し、今に残る町並みが形成されたのも、長近の施政によるところが大きいとされています。豊臣恩顧の武将でありながら早くから徳川家康に帰順していた長近は、関ヶ原の合戦の後も所領を安堵され、子孫ともども譜代大名に準じるあつかいを受けました。しかしながら飛騨の豊富な木材と鉱物資源に目を付けた幕府により出羽国上山への転封を命じられて、高山城は廃城となります。今となっては訪れる人もまばらで、観光客がわんさと詰めかける高山陣屋周辺に比べると実に閑散としていますが、曲輪の保存状態は意外とよく、本丸跡からは長近が礎を築いた高山の町並みを一望できます。城址の一部は公園として整備されていて、その辺りにはお店もあって地元の方々で賑わっています。観光地として宣伝されることもあまりないものの、城好きなら見ておいて損はありません。なお、城の大手口のあたりにはやたらと立派な石垣があるのですが、これは史実ガン無視で昭和四四年に築かれたものです。これと同じようなものが城址のあちこちにあると思っていると肩すかしを食らいますので、ご注意ください。
大手門の大きな石を使った石垣が素晴らしいです。400年もの時を経ても崩れない、野面積みの技術には圧巻です。比較に写真の私は177cmの身長なので、その大きさがわかると思います。天守は木があって高山の街並みが見えませんが、当時は大きな櫓があり飛騨高山を見守っていたのでしょう。
雨の日に訪問。通路の水はけがよく雨でも滑ることはない。本丸跡地まで坂を20分くらい上がることになるが、木が生い茂り展望は無い。
江戸時代初期に金森長近によって築かれた城跡。石高や城の規模に似合わない巨大な大手門の石垣は後世の創作で文化的な価値はゼロ。その他遺構は少ないですが、本丸付近は、地形を巧く利用し、防御に適した実戦的な造りで見応えあります。麓の神社の社前に水堀跡が残ってます。木々が鬱蒼としているので、本丸や二の丸、三の丸も眺めが良くありません。三の丸の金森長近の銅像は見事です。
高山の市街地からも近く本丸跡地への道のりも、ピクニック気分で辿り着ける楽な道のりです。ただその道中に「熊注意」の警告文が置かれてあったので、夕暮れや日没後の登頂はしない方が無難かと思われます。
| 名前 |
高山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0577-35-3156 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.takayama.lg.jp/kurashi/1000021/1000119/1000847/1000954/1000969.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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少し山を登ります。城に一番近い駐車場から15分ぐらい。3月の後半に訪れましたが残雪で歩きづらい場所がありました。見どころは多かったです。国外の方が多かったです。