信者が集う聖徳太子像。
佐々木太子堂の特徴
日本三太子のひとつ、聖徳太子の像がまつられている場所です。
交通量の激しい幹線沿いに位置し、アクセスも良好です。
全国から信者が訪れ、地元の生活に溶け込んでいる神社です。
信仰心の有る人や歴史マニアにはたまらないと思います。しかし一般の人には分からないでしょうね。観光客を呼びこむつもりが無いならこのままで良いと思います。町の人達に大切に守られている感じがします。本来の聖徳太子信仰の形を見る事が出来ます。
地元の人々の生活に溶け込んでいる。
日本三太子のひとつ、聖徳太子の像をまつるかの聖徳太子が自身の像を刻み、海に流した3体のうちの1体がまつられていて、全国から信者が訪れるという。当初は大杉の空洞にまつられていたが、慶長15年(1610年)に太子堂が建立された。一、佐々木太子堂のご本尊様は、聖徳太子ご自身がお刻みになり、難波の浦からお流しになられた三体の内の一体と伝えられております。ニ、聖徳太子の年代、大化元年(西暦645年)から御尊像出現の鎌倉時代建暦元年(西暦1211年)の約六百年間水中に在り、やがて福島潟北岸・豊田庄佐崎村(現在の佐々木村)に縁をもたれました。三、当初は大杉の洞にお祀りされておりましたが、浄土真宗の開祖親鸞上人によって小祠にお祀りされ、その後約四百年前、慶長十五年(西暦1610年)領主溝口重元公により境内を賜り、後に家老窪田太郎介様のご尽力と、近隣十二ヶ村、また多くの信者の協力で社殿が建てられました。
交通量の激しい幹線の側にある神社⛩️。新々バイパスが無い、昔からの道沿いにある為、当時は参拝客で賑わったものと思われます。境内はメインとなる太子堂の他に神仏集合の時代の名残である地蔵堂の他に、幾つもの分社が建ち並んでいます。他にも集落の力自慢が力比べを行った力石。第二次大戦の戦没者を奉る慰霊碑があります。かつて集落の子供達の遊び場だった名残でシーソーが太子堂の側にありました。境内自体は面積は広くはありますが、時代を感じさせるものがあります。
| 名前 |
佐々木太子堂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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