猪苗代湖から流れる歴史の水。
戸ノ口堰洞穴の特徴
白虎隊が通ったと言われる歴史的な水路の一部です。
猪苗代湖から流れ出る水量豊富な自然の美しさが魅力です。
さざえ堂近くからアクセスできる便利な立地にあります。
結構な流量だと思いますよ、これがここの農村を支えているんでしょうね、ここを白虎隊が歩いたらしいです。
駐車場から少々歩きます。戸ノ口堰は、江戸時代初期の元和9年(1623年)に原野を開墾することを目的に猪苗代湖の水を会津地方に引くため、郷士八田氏が起工した水路だそうです。70年間にも亘る工事の末、元禄6年(1693年)に鶴ヶ城下まで開かれました。
白虎隊が、この猪苗代湖から水を引く為の用水路である戸ノ口堰洞穴を通り秋の冷たい水の中を進み自刃の地へと辿り着いたそうです。今も凄い水量です。当時の事を想うと胸が痛みます。
よみ:戸ノ口堰洞穴(とのぐちせきどうけつ)感想:戸ノ口原の戦いで敗れた白虎士中2番隊20名が潜って逃げてきたことを考えると感じるものがある料金:無料日時:11月上旬(土)の夕刻16:30頃混雑:なし【視覚(外観・内観)】さざえ堂正面の階段をおりると壁に小さな穴が洞窟のようにみえます。水が湧いているように見えますが、猪苗代湖の水を会津に引いている洞穴です。1623年に着工し1641年に完成。全長31kmあります。1832年から1835年に弁天洞穴150mを掘り、ここを白虎隊が潜って敗走してきたとのことです。【聴覚(雰囲気・歴史)】水の流れる音がします(動画参照)猪苗代湖畔・戸ノ口原の戦いで破れた白虎隊2番隊の20名が、鶴ヶ城を目指して長さ約150メートルの洞穴を潜り、飯盛山へたどり着きました。飯盛山から燃え盛る会津をみて20名は自刃しましたが、飯沼貞吉1人が生き残り、白虎隊のストーリーが後世に語り継がれたとのことです。【味覚(売店など)】ここに来るまでに通る可能性の高い、飯盛山仲見世に飲食販売店がいくつかあります。【触覚(気温)】11月上旬は寒いです。少し厚手をオススメします。【嗅覚(匂い)】歴史と自然を感じられます。
2022年10月15日に訪問。白虎隊で有名ですが、猪苗代湖から会津盆地へ水を引いた用水および治水工事の歴史は調べるほどに興味深いものです。この用水路のお陰で会津米がとれることになったのでしょう。いまひとつ水路がどうなっているのかわかるような案内板があると良かったと思います。
猪苗代湖の水を会津城下へ導く全長31kmに及ぶ戸ノ口堰の会津側出口です。山をくりぬく約150mの弁天洞穴は、江戸時代1835年に完成したそうです。また、戊辰戦争の折、戸ノ口原の戦いで敗れた白虎隊の隊士20名が復命のためにこの洞穴を潜って戻ってきたと伝えられます。歴史を感じさせる所です。池から流れ出る水の勢いに、水量の多さを感じることができます。2022年4月中旬訪問。
猪苗代湖からの水が流れてるらしいですね。水が勢いよく流れています。白虎隊はこの狭い洞窟を抜けてここへ辿り着いたんですね。感慨深くなります。
さざえ堂から階段を下りてすぐにあります。豊富な水量が出ています。
経緯に感動。1623年八田内蔵之介なる偉大な人物が私財をなげうって猪苗代湖から八田野村(JR広田駅付近かな?)までの用水堰を造ったというから凄い。1832年になると会津藩は堰を改修すると同時にここまで150 mの洞穴を造って引水したようです。全長31 km。コンコンと大量の水が洞穴から流れ出てきます。多くの人々が助かったんでしょうね。
名前 |
戸ノ口堰洞穴 |
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ジャンル |
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住所 |
〒965-0003 福島県会津若松市一箕町大字八幡滝沢160 |
HP | |
評価 |
4.2 |
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こんなにも水量が多く、流れもそこそこあるところを通ってきたのかぁ。