平安時代の神秘、池辺寺跡探訪!
池辺寺跡の特徴
平安時代の国重要文化財として整備された古代寺院の史跡です。
味生池の大蛇伝説にまつわる独特な歴史といろんな言い伝えがあります。
熊本市による発掘調査で綺麗に整備され、遊歩道や桜の名所としても魅力的です。
平安時代国重要文化財です。
前から行きたかった池辺寺跡行きました。平坦地なく斜面にありましたので驚きました。基礎石物が沢山整然と置いて有りました。東方向には山が開けていて、花岡山が見えました。
熊本にこんな処があったとは…驚きでした。また是非訪ねたいです。
国史跡。この地から下った所(独鈷山の北&花岡山の西の地)はかつては味生池(あじうのいけ)と呼ばれる大きな溜め池であった。続日本記によると、この池は肥後国国司 道君首名(みちのきみのおびとな、663-718)が灌漑用に作ったそうだ。ちなみに池は加藤清正によって埋め立てられている。この味生池に悪龍が棲み害をなすので道君首名が朝廷に報告。派遣された真澄が祈願したところ悪龍は天に昇り平和になったという。真澄は710年に池の近くに寺を建て池辺寺と名付けた、とされる。その後、荒廃と再興を繰り返す中で場所を移し、最終的に明治政府による廃仏毀釈により池辺寺は破壊された。最後は現在の池上日吉神社の地に池辺寺があったが初期の池辺寺がどこにあったかは長年謎のままであった。最近の調査で百基の石塔が見つかり、これが金子塔碑文の百塔の記述と一致することからこの地が池辺寺跡であることが分かった。ちなみに弘法大師が独鈷を投げ独鈷山の名がついたのは805年頃なので池辺寺ができた約100年後のこと。
古代寺院の特異なあり方を知ることができる。
一説には、味生の池の大蛇(龍)を抑えるため建立されたとも説明受けましたが、いろんな言い伝えがありますね。
平安時代の古代寺跡 肥後国司道君首名が灌漑用に作られたと言われる味生池に由来する寺名だが、昭和60年以前まで存在が確定していなかったみたいです。それこそ発見、発掘、史跡指定、公園化までまだ40年弱しか経過していないようです。池辺寺の最大の特徴となる百塔は何故あるか、また何故わずか100年で廃寺になったのか(その後鎌倉時代以降、今の池上地区に建立)等、解明されてない謎がまだ多い。それだけに色々思いを巡らせるのも楽しいです。
行く価値あり。歩いて南側から下りる道沿いにある石に阿弥陀仏が彫ってあるのを見て感動しました。
結構綺麗に整備してあります‼️
名前 |
池辺寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.city.kumamoto.jp/hpkiji/pub/detail.aspx?c_id=5&type=top&id=6906 |
評価 |
4.5 |
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熊本市により発掘調査され、史跡整備された寺院跡です。本堂遺構の裏手には、石を積み上げた塔が10×10個、すなわち「百塔」があり、さらにその周囲を石垣で取り囲むという、何だかよくわからない寺院です。かなり特殊な遺跡なので、見て損はないと思います。道は一応車で行けるものの、谷あいの集落道のどん詰まりにあるので、所々離合ポイントはありますが、全体的に心震える感じの細道です。