神功皇后ゆかりの小社で心満たす。
審神者神社の特徴
審神者神社は中臣烏賊津使主を祀る神社です。
神功皇后の祈願に関連した場所としての由緒があります。
香椎宮から遷都された歴史的背景を持つお社です。
神社仏閣好きの子どもたちの希望で行きました。やや分かりにくい場所でした。神社の案内板の横の歩ける幅の細道を少し歩いたら鳥居があります。てのひらに乗るくらいの小さなお賽銭箱がありました。近隣には和風家屋もあり、良い雰囲気のところでした。道を挟んで向いには【六所宮跡】と言う歴史的な跡地もありました。駐車場等はありません。
仲哀天皇崩御後,香椎宮から遷都された宮のあったところ。中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)を祀る。神功皇后の四大夫(中臣烏賊津使主,三輪大友主君,物部胆昨連,大伴武以連。)の一人。神事を司った宗源者,天児屋根命の十四世孫。後に対馬縣主に任ぜられ亀卜(きぼく)を伝える。また,占いを専業とする「卜部」氏の始祖とも伝えられている。この審神者神社と六所宮は向かいあっていて,その間に建物を造ることは禁じられていたとのこと。ーーーーーーーーーーーーーーーー【日本書紀】仲哀9年、春2月に、仲哀天皇が筑紫の香椎宮で崩御された時、皇后は、天皇が神託に従わなかったために早く崩御された事に心を痛めて、考えました。祟っている神を明らかにして、神の勧める財宝の国を求めようと。そこで群臣や百寮たちに命じて、国中の罪を払い清め、過ちを改めて、さらに斎宮を小山田の邑に作らせました。3月の1日に皇后は吉日を選んで、斎宮に入って自ら神主となりました。その時には武内宿禰に命じて御琴を弾かせました。中臣の烏賊津(いかつ)の使主(おみ)を召して審神者(さにわ)としました。ひもろぎ逍遙:審神者神社(1)中臣烏賊津使主を祀る宮審神者神社(2)磐境神籬の跡だろうか斎宮の地図と猪野と銅。
篠栗巡拝中に出会った方から導かれる形でやってきた。猪野ダムからの帰りに前の道路を通ってあったかなと思ったが、入口は一本裏の道だった。住宅敷地の端にあるような雰囲気だが、参道も有り綺麗にされていた。賽銭箱は無し。ただ、お賽銭は有ったので訪れている人はいる模様である。近くの山田邑斎宮に有った山田邑古地図にも描かれている。
小さなお社が○。駐車場は無し、近くに六所宮跡がある。
神功皇后の祈願の際に召された審神者(さにわ)である中臣烏賊津使主を祀る神社です。審神者(さにわ)とは、神の神託を受け、その意を伝える人を指します。
名前 |
審神者神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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御祭神 中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)審神者(さにわ)とは、神託を受け、神意を伝える者のことで、神功皇后が仲哀天皇崩御の後、祟りをなした神について、武内宿禰に命じて中臣烏賊津使主を審神者としてお尋ねになった。近くの斎宮、伊野天照皇大神宮とも関わりの深い神社です。