佐和山城、三成の見守り。
石田三成公像の特徴
佐和山城跡の登城口に鎮座する石像で、歴史を感じさせます。
緑に囲まれた静かな場所で、心安らぐ時間を過ごせます。
石田三成の人物像が、多くのエピソードを持つ武将の魅力を伝えています。
まるで佐和山城跡へ登山する人達を見守っているようにひっそりと佇んでいます。
緑豊かな森の中で石田三成が出迎えてくれました。日が差し込み聖域のような雰囲気。駐車場から石田三成の前を通過すると、その先に佐和山城から移築されたという山門がありました。
佐和山城跡入口付近にある石田三成公の像。訪れた人たちを迎えているかのよう。
お墓参りで何度も通りすがりに見てますが、三成と佐和山城の背景などの説明があった方がよいと感じます。
駐車場も広く、緑のなか静かな時間があります。
やはり佐和山には石田三成が必要だし、石田三成には佐和山がよく似合う。(2022_11_06)
佐和山城跡駐車場近くの登城口に鎮座しています。登城する人を見守っているかの様です。
よくできた像だね。
石田三成は多くのエピソードを持つ武将であり、それが三成の人物像形成に大きな影響を与えている。ただし他の戦国武将同様それら「逸話」の多くは本人死後の江戸時代に記された書物(二次史料)にのみ載せられたものがほとんどであり、安易に歴史的事実として鵜呑みには出来ない。特に出世のため他人を陥れる器の小さい野心家として描かれた逸話が多いが、三成が江戸幕府の治世下において、幕府を築いた神君家康と多くが加増された東軍諸大名に敵対した仇役という立場にあった点は注意を要する。次女:小石殿 - 蒲生家の家臣岡重政(岡半兵衛)室。重政が蒲生家の御家騒動に関与し(藩主・蒲生忠郷の母・振姫(家康の三女)の勘気に触れ)、幕府により江戸に呼び出されて切腹処分になると会津を離れる。後に若狭国へ移り住み、小浜で没したと伝わる。子の岡吉右衛門の娘は徳川家光の側室・お振の方(自証院)(三成の曾孫にあたる)となり、家光の長女・千代姫を産んだ。尾張徳川家に嫁いだ千代姫の血筋は第7代藩主・徳川宗春まで続き、さらに女系(千代姫の孫徳川吉通の娘徳川三千君)を通じ九条家、二条家を経て貞明皇后、そして現在の皇室などに三成の血を伝えている(系譜 石田三成 - 小石殿 - 岡吉右衛門 - 自証院 - 霊仙院(千代姫) - 徳川綱誠 - 徳川吉通 - 信受院(徳川三千君) - 二条宗基 - 二条治孝 - 九条尚忠 - 九条道孝 - 貞明皇后 - 昭和天皇)。
名前 |
石田三成公像 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.hikoneshi.com/sightseeing/articles/ishida-mitsunari-zazo |
評価 |
3.7 |
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石田三成の居城、佐和山城に登城する前に是非寄りたいところです。