江戸の石畳に触れる旅。
石谷の石坂の特徴
江戸時代の教育にまつわる独自の逸話が魅力的です。
石畳を通りながら歴史を感じることができます。
明確な案内板があり、訪れやすい史跡です。
江戸時代に地域の青少年教育を行なっている中で、不真面目な者には罰として遠くから石を運ばせて悪路だった道を石坂にしたそうです。石畳の坂道の一部が、車道の真ん中に保存されています。階段で降りて実際に歩くこともできました。案内板には由来が以下のように記されていました。-------------------石谷の領主であった町田久成が、万延元年(1860)二月から文久元年(1861)まで伊集院の傑士有馬新七を石谷奉行として招き、青少年の教育にあたらせましたが、青少年の中のふまじめな者には罰として遠方から石を運搬させ、当時伊集院、鹿児島へ通ずるぬかるみの、この街道を創りあげました。当時は150メートル程の石坂でありましたが、永い年月により散失し、この部分だけを教育資料として保存してあります。
案内板があるため、とてもわかりやすいです。駐車場はありませんので、道幅の広い辺りに横付けすることをオススメします。有馬新七の奉行としての有能な仕事ぶりがわかりました。
名前 |
石谷の石坂 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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当時の面影を残す石畳の逸話に、現代にも何かできないかと思いを馳せながら通りました。