若狭武田氏の城跡で歴史探訪。
後瀬山城跡の特徴
国指定史跡であり、若狭武田氏の居城が残る場所です。
登山道は整備されていて、登りやすい急坂が魅力の一つです。
本丸周囲の美しい石垣と曲輪が歴史を感じさせます。
登山口のお宮さんが中々見つからず、小浜線の踏切警笛音が心を気忙しくさせる。コロコロ我が君で探しながらやっとお宮さんを発見!時は13時、これはマズイかと思いきや足が出てしまう。鳥居をくぐって急登階段。やっと慣れて来た階段ですが、苦手意識は克服されず。下ばかり見て余裕無し。砦(城)だけあって人工物の石垣の堅固さやその組方に驚かされる。毎回山城の石垣はどの様な工程で造作されたのか、小生の最も知りたいところである。登山道はとても手入れされていて感謝しかありません!迷わず進んでいけます。
国の史跡に指定されています。若狭守護の若狭武田氏の居城として武田元光によって築かれました。若狭武田氏滅亡後、江戸時代初期に小浜城と入れ替わる形で廃城となりました。下の駐車場から約25分で主郭部まで行くことができますが、登り始めからかなりの急勾配です。整備はきちんとされていますが長い階段が続きます。城域に入ると尾根に沿って曲輪が並んでいます。その曲輪の横を進む形で主郭まで進んで行きます。主郭部には愛宕神社が建っています。主郭からは小浜湾を見下ろすことができますが、視界はそれほど開けてはいません。ところどころに石垣が残っています。
🏯戦国の世:若狭国に出現した山城🏯政情の不安定だった室町時代後期、戦に備える築城はその地方を統治する者にとって必須のことだったのか。若狭国の守護であった武田氏により築城されたのが後瀬山城である。麓の愛宕神社から登り始めて凡そ20分、結構な急登の連続に閉口するが、標高168メートルの山頂に着く。そこには江戸時代初期に鎮座されたという愛宕神社の祠がある。徳川家康により天下が統一され、小浜には新たな小浜城が築かれた。泰平の世に山城の使命も終わったということなのだろうか。
若狭武田氏の居城急な坂を30分以上登ると主郭に到着主郭周辺に石垣が多く残るが廃城後の神社整備に伴い築かれたものが多いとか。
ヤマビルがいないタイミングが良ければ語り部のおじさんの話が聞ける近くの発心寺には武田元光公の墓所がある保存状態が良く地元住民のに愛されていると感じた。
愛宕神社駐車場から登りました。登り口より20分位で連郭式の曲輪群が右手に見れて切岸で区画されて、左手は急斜面です。主要部は堀切も見られます。若狭守護武田氏の城で本丸から若狭湾を一望、小浜駅も真下に見れます。
途中から曲輪や堀切を見ながら登るのでそれまでは只の登山です。当時からかは分かりませんが石垣は良く残っています。
石垣や曲輪が良く残る‼️若狭武田氏❗(^∇^)麓に菩提寺がある❗
本丸周囲南側が石垣が見事でした。本丸と二の丸の間に堀切ありその先に二重竪堀が有りました。二の丸より西は階段がなく坂道でした。二の丸から西の尾根沿いを下り曲輪を数段過ぎると、比較的広く土塁堀切のある曲輪に出ます。周囲に畝堀もあり、たどり着くのは苦労しますが見所ではあります。
| 名前 |
後瀬山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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低山の城跡ですが、けっこう登山はきつかったです。ただ、それだけ達成感もありました。