足利将軍ゆかりの小公園。
足利義尚公 鈎の陣所ゆかりの地の特徴
小さな公園のような場所で、歴史を感じることができます。
足利義尚公が陣を敷いた歴史的な証が残っています。
甲賀武士五十三家の名が刻まれた貴重な史跡です。
小さいけど公園あり、子供を遊ばせられます。
小さな公園のような感じで、石碑をそれぞれに追っていって足利義尚将軍の人間関係に思いを馳せるくらいしかできません。甲賀の方を向いて当時の軍人達の気持ちになってみるとか、、娘を連れていきましたが、歴史への思いを深めるとまではいかないようでした。この後、陣所跡の寺にも行きました。(この場所の画像ではないのですが、栗東市役所1Fに飾られていた足利義尚将軍 騎馬行列を模した鎧と添え書きの画像を参考に添付させていただきます。展示場所は別の場所ですが、この地についての情報としてはこちらがふさわしいと思いますので。)
室町幕府9代将軍・足利義尚公の陣があったという碑があります。
鈎の陣にて、歴史に初めてその名を刻んだのが、甲賀武士五十三家(俗に言う、甲賀忍者五十三家)と呼ばれている豪族集団でした。この鈎の陣で、足利義尚が敗退した事で、室町幕府の失墜は決定的になってしまいました。それによって、天下統一を成さんとする各地の大名達が覇権を争うようになったのですから、この鈎の陣は、新たな幕府=天下の模索の始まりでもあります。
史跡としての価値はあるのですが、さすがに碑があるっきりですので少しさびしいかな?^^;
応仁の乱後、近江守護・六角行高が寺社や奉行衆の所領を横領し始める。下克上の空気が漂いはじめていた時期。室町幕府9代足利義尚が自ら軍を率い、この地に陣を敷いた。六角氏は甲賀に逃れ、甲賀衆のゲリラ戦が執拗に展開された。甲賀忍者が意識された最初かも知れない。元々、健康的ではなかった義尚は後に陣中で病死。児童公園とも言いかねる小さな面積に歌碑が並ぶ。義尚にも(日野富子の息子っすね)行高にも感情移入しにくいから、「ふーん」と納得するだけ。
なにもありませんが想像するとすごいばしょ。
足利将軍が長期退陣した場所。没した場所はここと違うのだが、将軍がここに在陣していたと言うことで、さながら京から幕府が移動してきたかのような賑やかさであったらしい。
久々の将軍親征は陣没により失敗。
| 名前 |
足利義尚公 鈎の陣所ゆかりの地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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室町時代後期の室町幕府第9代将軍足利義尚(あしかがよしひさ)が、近江守護の六角高頼の討伐のため、近江鉤に長期滞在することになったが、享年25の時、ここ近江鈎の陣中で病死したそうです。