木曽義仲と松尾芭蕉の地。
義仲寺の特徴
昔の東海道沿いに位置し、静謐な雰囲気を楽しめる寺院です。
木曽義仲公と巴御前、松尾芭蕉の墓が揃う歴史的なスポットです。
境内には松尾芭蕉の句碑が19基もあり、文化的な魅力が満載です。
お寺の職員さん?が気さくに話が出来て楽しかったです。ただ駐車場が無く近くの有料駐車場に停めるしか無いです。
枚方から電車で乗り継ぎ到着。備え付けの駐車場はありません。JR膳所駅から歩いて5分程度の場所にあります。お寺の門入り口から入って右手窓口で300円(大人1人)払い入場。窓口では大津絵の絵はがきの他に松尾芭蕉の旅を絵で表したこちらも絵はがき等々とりわけ芭蕉に関連した品がそれなり豊富に販売されておりました。境内は決して広くはなく10数分もあれば巡ることができるかと思いますが、木曽義仲、松尾芭蕉が眠る本墓を前にして周りの庭園の景色と一緒に愛でながら備え付けのベンチに座って偉大な2人の足跡に想いを馳せ堪能するのもいいと思います。この日は正月前の29日でしたが、タイミングがよかったのか参観者は私以外は家族連れ1組でしたのでのんびりと過ごせました。人が多いとあわただしく観てまわることになると想像します。入場前に境内の外から中を覗いてみて、人が多そうでしたら時間を開けて入場した方がよいかと個人的には思います。ご参考にください。
木曽義仲公は、平安時代末期の源平合戦にて活躍した武士です。俱利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破るなどの快挙を挙げましたが、最期は源頼朝の命を受けた源義経らによって、粟津(あわづ)の地で討ち死にしてしまいます。その後、巴御前がこの地にて供養し、現在も義仲公のお墓を見ることができます。諸行無常の儚さを感じることができる名スポットです。
■義仲寺(ぎちゅうじ)滋賀県大津市にある天台宗系単立の寺院。山号は朝日山。本尊は聖観音菩薩。●小さな御寺さん。開山は巴御前。義仲寺境内全域が1967年(昭和42年)に国の史跡に指定されている。大人拝観料¥300。寺門の前、左手に標石柱が3基、「朝日将軍木曽義仲公御墓」「芭蕉翁墓所」等が建つ、右手に「巴地蔵堂」があり、境内には「巴塚」石碑が祀られてある。本堂「朝日堂」には、阿弥陀如来が変化したお姿の聖観音菩薩 (しょうかんのんぼさつ) が祀られてある。境内中ほどには「木曽義仲の墓」と「松尾芭蕉の墓」が近くに並び、ほぼ西向きに配されている。多数の句碑が観える。義仲寺の境内南奥には「無名庵」「義仲八幡社」と「翁堂」がある。翁堂に芭蕉翁坐像が祀られあり、其の天井には伊藤若冲作の「花卉図」天井図が遺る。境内南塀の外向こうは幼稚園がある。平日の日中は園児の賑やかな声が境内にも聞こえて来る。
丸子で挙兵した義仲の最期、巴御前と共に眠る地は静かです。こじんまりした素朴さが、芭蕉の想いにも繋がり、感慨深い場所です。お勧めです。貸駐車場が警察署横にあります。
俳人松尾芭蕉が最も好んだ人間は?それは木曽義仲(きそよしなか)である!義仲といえば平家打倒を誰よりも早く行動に移して、京に攻め登った人物!その後、後白河法皇に疎まれ、頼朝らの命により(範頼、義経)からの裏切り攻撃により義仲は討ち死にしている。享年31歳! また彼の側室、巴御前(ともえごぜん)は彼の墓所(義仲寺)に何度も足を運び弔い参っていたので巴寺ともいわれている。そんな義仲の無念さや、心意気に打たれたのか、貞享年間(1684〜8年)義仲寺(ぎちゅうじ)の補修後、芭蕉はしきりにここを訪れている。その後、なんと弟子に義仲寺の中に庵(いおり)までも作って貰い5年間もここに移り住むのである。また、ここを拠点に「奥の細道」以後、関西圏を廻り俳句を作っていたと言われている。芭蕉は元禄7年(1694年)大阪で亡くなるが、自らの遺言により、その日の夜には船で大阪から亡骸を運び出し、ここ琵琶湖畔の義仲の真横に墓を並べている⁉
松尾芭蕉ファンにはたまらないですね。そして旬な鎌倉殿マターでもある義仲ですからね。伊藤若冲の天井絵もコピーとはいえ雰囲気ありますよ。お寺の方も親切でイイスポットです。
大津市馬場一丁目にあって、旧東海道道にも沿った場所にありました!松尾芭蕉のお墓もありますお庭は広くはありませんが、緑も多く独特の雰囲気があるお寺でした。
狭くて何があるのでも無いけど良いですよ。木曽義仲と松尾芭蕉が好みなら、行っておかないと。園内歩くとき絶滅危惧種にかる亀がそこかしこを歩いているので踏んだりしないようにご注意❗
名前 |
義仲寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
077-523-2811 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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昔の東海道沿いにあるお寺です。静かな街中にポツンとあります。木曽義仲、松尾芭蕉の本墓があるという事です。静かな場所でゆっくり過ごせました。