弁慶伝説の引き摺り鐘。
霊鐘堂(弁慶鐘)の特徴
奈良時代制作の重要文化財の梵鐘が安置されています。
弁慶が引き摺ったとされる伝説の鐘が展示されています。
鐘に残る傷跡が武蔵坊弁慶の力を物語っています。
弁慶が引きづったという伝説の梵鐘です。元々は三上山の大ムカデ(実際には地元の反政府的な有力豪族的な人物)を退治した褒美に、田原藤太秀郷が琵琶湖の龍神から貰い受けたとの伝説があります。
延暦寺と三井寺が揉めた時かの武蔵坊弁慶(叡山)が三井寺の晩鐘を引きづり奪い去ったとか。実際に引き摺ったような傷がいっぱいついていました。また、奪った鐘をつくと「イノ〜、イノ〜」(関西弁で帰ろ〜)と鳴ったのでそんなに帰りたいのならと三井寺に戻されたらしいです。この鐘は元は平将門を征伐した俵藤太こと藤原秀郷が大百足を退治した時に琵琶湖龍神から褒美にいただいたものだとか。伝説歴史に胸が躍りますね。
弁慶が引きずって持ち去ろうとした鐘と、その代わりに置いて行ったとされる大鍋です。鐘は俵藤田太が百足退治のお礼に竜宮から持ち帰ったものとの伝説があります。鐘は「山(延暦寺)寺(園城寺)両門の争い」の頃に弁慶が延暦寺へ奪っていきましたが撞いたところ「いのーいのー」(帰りたい帰りたい)と響いた為、谷底へ投げ捨てられたそうです。貴重な鐘や鍋だと思うのですが、やや雑に展示してあるようにかんじられます。そのせいか鍋には賽銭がやたらめったら投げ込まれていました。どうかと思います。
広い三井寺のなかにあり、散策しながらの一環でみるのがベスト。
奈良時代の梵鐘🔔中世の園城寺三井寺と比叡山延暦寺との「山寺両門の争いの象徴」⁉️比叡山延暦寺の「武蔵坊弁慶」が園城寺から奪い比叡山に引き摺り上げたとの伝説、なので引き摺った跡や傷が残ってるとの説明板😅
山門との争いにより武蔵坊弁慶が鐘を略奪し、比叡山へ引き摺り上げ鐘を撞くと帰りたい(イノー・イノー)と響いたので、谷底へ投げ捨ててしまったと言われており、釣鐘は傷跡やヒビだらけになっていました。傷だらけになった釣鐘ですが、長い歴史を物語っているような感じがした。
閼伽井屋から一切経蔵への道中にあります。鐘ですが吊り下げられいないのがポイント。
霊鍾堂の奈良時代の梵鐘で、俵藤太が三上山の百足退治のお礼に竜宮から持ち帰った鐘を三井寺に寄進したものと伝えられているそうです。また、弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げたとか。
その昔、三井寺と抗争関係にあった延暦寺との戦いで、武蔵坊弁慶が略奪して持ち帰ったという「弁慶の引き摺り鐘」として有名。
名前 |
霊鐘堂(弁慶鐘) |
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ジャンル |
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電話番号 |
077-522-2238 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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幾度となく災厄を蒙ってきた三井寺(園城寺)の歴史を象徴する奈良時代制作の国の重要文化財に指定されている梵鐘を安置しています。この梵鐘は武蔵坊弁慶が比叡山側と三井寺側の宗門争いの際に三井寺から鐘を奪って比叡山へと引き摺り上げたという有名な説話で知られ一般に「弁慶の引摺り鐘」と呼ばれています。現在の建物は古い鐘堂の古材を用いて昭和五年(1930年)に大改築したものです、桁行二間・梁間一間・一重裳階付・切妻造・桟瓦葺のお堂で、梵鐘は智証大師円珍が入山以前の歴史的遺品です。