微妙寺で味わう観音の絶景。
微妙寺の特徴
微妙寺は994年に創建された歴史的な寺院です。
園城寺五別所の一つで、紅葉が美しい景色を楽しめます。
絶妙な掛軸やレレレのおじさん千手観音像が見られます。
2025年4月9日に訪れました。堂内の十一面観音さまが可愛らしい。未だ、こんな仏像を見たであろうかと、よりご利益が得られるかのように、お参り。納経所で御朱印をお願いすると、尊星王は金堂に移動したとのことで、御朱印もそちらでとのこと。久しぶりに訪れたので、聞いて良かったと、感謝申し上げるのでありました〜
観音堂へ来た石段を降りて、左へ行きます、三井寺の金堂(本堂)へ向かう途中にあります。お堂ではなく、お寺です。元々は、三井寺の外にあったお寺が今の場所へ移って来たようです。ご本尊は、十一面観音さまです。観音堂の観音さまは如意輪観音さまです。その他、黄不動明王さまがおります。このお寺は、別の観音霊場のひとつだそうで、御朱印は観音とそのお詠歌、黄不動明王の三つの御朱印が頂けます。
三井寺五別所寺院の一つ、本尊の十一面観音は文化財収蔵庫に展示されており、本堂にはご本尊御影の掛け軸を中心に、右に金色不動明王の掛け軸、左に尊星王(そんじょうおう)という三井寺独自の北極星を神格化した木造がお祀りされていた。尊星王は妙見菩薩と同一視されているようですが、そのスタイルは独特で唯一無二ではないでしょうか?
静かで展望の良いところ ボダイジュの大木に花🌼が沢山咲いていました。近松寺の周囲近辺です。
名前とは違い、建物も仏像も素晴らしいです。黄不動さまの御朱印はこちらで拝受できます。2021年に再拝した際には拝受できる御朱印が1つ増えていました。
994年、慶祚阿闍梨が創建した園城寺五別所の一つ。園城寺が秀吉によって寺領没収されたとき、微妙寺も衰えた。秀吉の死の直前、再興されたが、後に焼失し、現在の本堂が1776年、再建された。1979年に創建の場所から現在地に移った。本尊の十一面観音は、同じ五別所の尾蔵寺の本尊であったもので、参拝者が押し合ってやってくるため、参拝者の笠がよく破れたため、『笠ぬげの観音さま』と呼ばれ、湖国十一面観音菩薩霊場第一番札所のご本尊となっている。高さ三尺に満たない檜一木造りの像で、台座の蓮肉も同じ材から彫り出されている。
御本尊が十一面観世音菩薩で湖国十一面観音霊場の第一番礼所となっております。特に門や塀で囲われている訳ではないので三井寺の中の一つのお堂のように見えますが、微妙寺は三井寺の別所で、5つある別所の一つになるようです。別所が何故敷地内にあるのか不思議に思いましたが、昭和54年に三井寺内に移転したようです。本尊の他に秘仏として日本三不動の一つである黄不動尊も祀られています。堂内の朱印所にて気不動尊の御朱印を書いていただきました。
三井寺境内にある別院です。
微妙寺(びみょうじ)は、滋賀県大津市にある天台寺門宗の寺院。本尊は十一面観音。園城寺(三井寺)五別所の一つ。歴史正暦5年(994年)、園城寺南院の現・長等公園、大津大神宮の西南一帯に慶祚阿闍梨によって創建される。創建時は本堂、薬師堂、三重塔などがあり、後に園城寺南院の別所寺院となる。安土桃山時代の文禄4年(1595年)、園城寺が豊臣秀吉の怒りに触れて寺領を没収されて廃寺となった際に微妙寺も衰微した。しかし、秀吉の死の直前に園城寺は再興され、それに伴って本堂が再建されるが後に焼失する。現在の本堂は安永5年(1776年)に再建されたものである。しかし、1979年(昭和54年)に創建以来の地から現在地である園城寺中院に移転する。旧地には慶祚阿闍梨入定窟が残されている。本尊は、同じ五別所の一つである尾蔵寺の本尊であった十一面観音である。この本尊は参拝者が沢山やってきて押し合うために参拝者の笠がよく破れたことから「笠ぬげの観音さま」と呼ばれる。現在は三井寺文化財収納庫に展示されている。園城寺の別所寺院ではあるが、特に門や塀で囲われている訳ではないので園城寺の中の一つのお堂のように見える。境内本堂文化財重要文化財十一面観音立像 - 平安時代に作られた。檜の一木造り。札所湖国十一面観音菩薩霊場1 微妙寺 -- 2 盛安寺。
| 名前 |
微妙寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
077-522-2238 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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三井寺の別所寺院です。