久具都比賣神社で歴史を感じる。
久具都比賣神社の特徴
久具都比賣神社の標識に従い、難所を進むと神社の入口にたどり着きます。
御神木の楠の大木が歴史を語り、神域の素晴らしさを実感できる場所です。
皇大神宮の摂社であり、水の神・五穀の神を祭る神社は心を落ち着けます。
神宮125社の一つ厳格な空気感を感じました。
神宮125社で、内宮の摂社です境内は狭いですが、長閑な雰囲気で落ち着きますすぐ裏手には三重の一級河川宮川が流れますが、とても綺麗です駐車場はなく、周辺道路も狭いので小型車でないと近寄れません。
自分に合っていたのか気分の良い神社でした。軽か切り返しが上手な人なら、近くまで車で行けます。
久具都比売神社(くぐつひめじんじゃ)楠の大木を見に行ったのですが素晴らしい神域が待ってました。こんなところに守られた土地があるとは。この一角だけが草木に守られ密かに眠る倭姫命の神社があります。草木の大きさからして大切にされてきたことが伺われます。それも1、2本じゃなく何本も。一見誰も来ないような場所で駐車場もないので注意が必要です。
「久具都比売神社」の標識に従って離合のできない道幅の道路を進むと、宮川の岸辺へ下る右方向と、神社入口へ上る左方向への分岐に至ります。分岐手前の道路右脇に寄せて停めましたが、右方向に進めて路上に停めても良いかと思われます。いずれにしてもこの分岐点を利用して車を転回して帰ることになります。境内ではクスノキの巨木が目に止まりましたが、スギもかなりの大木が何本もあり、歴史的に大切にされてきたことがうかがわれます。ちょうど境内を清掃される方がいらっしゃったこともあり、こまめに手入れされているのだろうと感じられました。
御祭神:久具都比女命/久具都比古命/御前神最古の記録は延暦23年(804)成立の止由気宮儀式帳と言われています。なので、延暦23年以前には既に鎮座していたと考えられています。当社は皇大神宮(内宮)摂社です。伝承によれば、一之瀬川を下って来た倭姫命は久具都比古命に出迎えられました。久具都比女命はその地を「久求小野」であると述べたので、倭姫命が「久求社」として定めたのが当社の起源とされています。御祭神の久具都比女命(くぐつひめのみこと)、久具都比古命(くぐつひこのみこと)、御前神(みまえのかみ)は大水上命(おおみなかみのみこと)の子孫で、鎮座地の久具を灌漑する水の神、五穀の神と伝えられています。拝:2020/08/08伊勢神宮125社(109/125)
兎に角落ち着く神社です。倭姫さまをお出迎えして河の渡しを助けた功績で神様として祀られました。
歴史的な重要度の高い神社だと知ったのは割と最近。
倭姫さまの船を停泊していた場所までリアルにわかるような入江がありました。
| 名前 |
久具都比賣神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
|
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久具都比賣神社(くぐつひめじんじゃ)。三重県度会郡度会町上久具字久具都裏。式内社(小)、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社。内宮の摂社27社のうち第21位である。主祭神:久具都比女命(くぐつひめのみこと)、久具都比古命(くぐつひこのみこと)、御前神(みまえのかみ、<(あるいは山神>)大水上命(おおみなかみのみこと)の子で、鎮座地の久具を灌漑する水の神かつ五穀の神とされる。大水上命は、倭姫命が伊勢を巡幸する以前から、地域で水の神・稲作の神として信仰されてきた。資料によると、垂仁天皇二十五年、倭姫命が、天照大神の鎮座地を求めて飯野から伊蘇、狭田、坂手を経て、瀧原宮より宮川を遡り久求の地に至り、久求社を定めたのが当社であるという。式内社・久々都比賣神社に比定されている古社だが、中世に衰退し、寛文三年、社地が選定され再興された神社。元は三殿あり、久々都比女命と久々都比古命、そして御前神を祀っていたが、再興時に一つになった。とあります。