鍛冶屋駅跡の昭和の旅。
鍛治屋線記念館の特徴
廃線となった鍛冶屋線終着駅を保存した記念館です。
昭和の香り漂うノスタルジックな雰囲気が楽しめます。
記念館内には当時の車両や記念品が展示されています。
かつて鍛冶屋線の終着駅が鍛冶屋駅、そこが鍛冶屋記念館になってます。野村(現西脇駅)からここまで17Kmは遊歩道になっていました。
鍛冶屋線野村(現・西脇市)~鍛冶屋間は、1923年5月に全通。加古川~野村~西脇~鍛冶屋がメインルートで、野村~谷川のほうがむしろ支線的な扱いでした。野村~鍛冶屋間13.2kmの路線でした。国鉄末期に廃止が決定。第三セクター線としての存続は断念され、JR化後の1990年3月末をもって60余年の幕を閉じました。営業を終えました。当時盛んに廃止反対運動が行われたといい、その名残か、鉄道の痕跡は比較的色濃く残されています。旧市原駅跡には鍛冶屋線記念館が立ち、ゆかりの品が常時展示されているほか、旧市原、旧鍛冶屋にはそれぞれ加古川線系で活躍していた車両(キハ30系)が置かれています。チケット購入は必要無営業時間も無トイレはありますが、多目的トイレは閉鎖中。
早朝旧鍛冶屋線の終着駅を訪れました。車両と駅舎が保存されています。駅舎内は立入ることが出来ませんが、綺麗に手入れされています。車両は風雨の影響で塗装が劣化し、晩秋のひと気の無いこの街と駅舎がなんだか物悲しく佇んでいます。今では廃線になった本当の理由は知る由も有りません。ここからJR西脇市駅まで往くには神姫バスしか無く時刻表を確認し乗車しました。途中旧市原駅にも同じように保存車両(こちらは二両編成)と駅舎があるのも見掛けました。もし次回この地を訪れる事があったら市原駅の資料館も見学しようと思います。
廃線になった鍛冶屋線の終着駅、鍛冶屋駅を利用した記念館当時の車両が展示されています。駅を利用した資料館は施錠されており、ガラス越しにしか見れません。道路のロータリーの真ん中にポツンとあり、不思議な空間です。
チョット勿体感じがします。キハ30も塗装が剥げてボロボロになってしまって、展示物もなく、すでに何の施設か良く分からない状況。
記念館という名称ではあるものの展示スペースには入れない、かつ駐車場もない。敷地ぎょーさんあるんやから駐車場の整備は急務であると厳しく断定する。良い史跡なのに勿体無いやんか。ご安全に。
ここが廃線になった経緯には色々と有るみたいで勿体ないとは思いますが、今となっては駅舎を改装して記念品などを収納しています。鍵の掛かったガラス越しでも、それらを見る事は可能です。
加古川線の支線であった、鍛冶屋線の終着駅であった鍛冶屋駅跡になります。現在、加古川線は、加古川と谷川を結んでいますが、この鍛冶屋線のほか、三木線、北条線と支線の多い路線でしたが、物流のモータリゼーションが進んだ事で、廃線もしくは、第3セクターとなっています。往年の頃は、谷川方面よりも鍛冶屋線の方が乗客数が多かったのですが(西脇市の中心部を通る為)、盲腸線と言う事もあり、廃線となっています。廃線跡の一部は自転車道路となっています。駅舎内に鍛冶屋線の資料展示スペースもありますが、扉は閉まっており詳しく見ることができませんでした。なお、加古川線は、阪神・淡路大震災の際、神戸線が不通となる中、福知山線経由での迂回路線として活用されました。当時は非電化でしたが、震災の教訓から電化されています。
見学者用の駐車場がない。
| 名前 |
鍛治屋線記念館 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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随分前に塗り直された感じですが屋根が有れば長期間保てると思うのですが費用が掛かりますね!