波の伊八生誕地の静謐さ。
波の伊八誕生の地(屋敷・工房跡)の特徴
千葉県鴨川市にある波の伊八屋敷・工房跡の史跡です。
静かな環境で波の伊八の歴史を感じられます。
駐車場がないため、周囲への配慮が大切です。
房総半島に数々の傑作を残し、葛飾北斎への影響も指摘されている宮彫師、「波の伊八」こと武志伊八郎の生誕地です。だからどうしたと言われれば答えに窮するものの、本当にそれだけの場所です。近くにある金乗院では伊八による向拝の龍を拝観できるものの、境内が荒れていてあまりおすすめではありませんし、わざわざ足を運ぶとすればここもおすすめではありません。
この地に波の伊八の生誕地があり、案内板には『波の伊八屋敷・工房跡』と記されています。波の伊八と呼ばれる『武志伊八郎信由』は、宝暦2(1752)年に現在の鴨川市打墨で生誕し、千倉町の後藤義光、本織の石田石翁と共に安房の三名工と呼ばれ、南関東を中心に50点余りの作品を残しています。『波の伊八』と呼ばれるように『関東に行ったら波を彫るな』と言われ、躍動感溢れる波の作品を彫り、葛飾北斎の『富嶽三十六景』『神奈川県沖裏波』など画風の強い作品に影響を与えたと云われています。案内板によると、五代まで続いた武志家は、ここ大塚台周辺一角の地主で、西条小学校西側の現墓地の辺りに屋敷を構えていました。前の水田辺りに工房(作業場)を構えて、小規模な作品はここで、大規模な彫刻は現地に泊まりこみで、製作に没頭したと言われています。孫の三代信美は明治初頭に下打墨村の戸長を務めました。この地は現在、一族の墓所となっており、平成17(2005)年9月に四代信明が鏡忍寺にあったものをここに移しました。初代 武志伊八郎信由 本名 武石伊八(1752~1825)二代 武志伊八郎信常 本名 武石万右衛門(1786~1852)三代 武志伊八郎信美 本名 武石伊八郎(1816~1889)四代 武志伊八郎信明 本名 高石仙蔵(1862~1908)五代 武志伊八郎信月 本名 高石武一郎(1890~1954)近くの金乗院とセットで参詣しました。
名前 |
波の伊八誕生の地(屋敷・工房跡) |
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ジャンル |
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電話番号 |
04-7092-0086 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.3 |
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駐車場がないので、民家のかたに迷惑をかけないように注意が必要です。