北海道開拓の父、島義勇像。
島義勇 銅像の特徴
猫にもモテるインパクトある銅像で、魅力的な史跡です。
佐賀の七賢人の一人、島義勇を讃える貴重な場所です。
美しい水辺に面した東屋で、癒しのひとときを過ごせます。
人物の説明石碑あります。立派な方で鍋島閑叟公はやはり名君だと思いました。
インパクトのある像でした♡
北海道開拓に尽力したという、【佐賀の七賢人】にも数えられる幕末の偉人。銅像も北海道を向いて立っているそうです。
佐賀七賢人島義勇よしたけ北海道の父。
佐賀の乱の人。
都市として北海道の心臓はどこか。それは札幌です。明治以降、北海道は札幌から発展したのです。では、その札幌を作ったのは誰か。この銅像の人物です。佐賀藩士の島義勇(しまよしたけ)です。この人がいなかったら、いまごろ札幌は碁盤目状の街並みじゃなかったかもしれません。島義勇は「札幌の設計」という大偉業をやってのけ、「佐賀の七賢人」にカウントされているにも関わらず、地元の佐賀でも長らく「ほぼ誰も知らない状態」が続いておりました。一方で、札幌人は、「六花亭」が作っている「北海道神宮」限定の「判官さま」という島義勇を指すお菓子の存在から、彼の影を感じ取っているはずです。どのみち、佐賀であろうと北海道であろうと、島義勇は「知る人ぞ知る人」に留まっていた。そこで、2018年の「明治維新150年」を契機に、佐賀県は島義勇の功績を再注目してこの銅像を建てるという運びになったんですね。僕はすべての政令指定都市に行ったことがありますが、札幌の街が一番好きです。札幌は、日本のどの大都市よりも新しくて開放的で整然としていて食べものが美味しいです。そんな札幌を「世界一の都にする!」と心に決めて設計してくれた張本人をリスペストしない理由が僕にはない。だから、佐賀県が、このような佐賀市の一等地に島義勇の銅像を建ててくれると知った時は「やったー!」としか思わなかったんですよ。今後、街を歩く佐賀の子どもたちがこの銅像を指差して「ねえねえ、あの人は誰?」と問うた際に、佐賀の大人たちが「北海道の札幌を作った人だよ」と教示できる環境がついに佐賀中心部に完成した。つまり、この像は、佐賀県と北海道を結びつける強固な架け橋かつシンボルとなります。そのことを誇りに思う主体のひとつが、紛れもなく僕です。北海道にルーツを持つ僕が、こうして、ここで札幌を作った島義勇に会えていることは光栄でしかありませんよ。3年ちょい前に佐賀に来た時は、まだいなかったしね。これは僕の個人的な願いなのですが、北海道民はもっと佐賀県に行くべきだし、佐賀県民はもっと北海道に行くべきです。
佐賀の七賢人の一人で、かつ「北海道開拓の父」として知られる佐賀藩藩士・島義勇(しま・よしたけ)(1822~1874)の銅像。銅像は2.5mの立像で、台座を含めると高さ3.5m。1856(安政3)年9月、蝦夷地(現在の北海道)・樺太の調査に旅立つ若き日の島をイメージした。佐賀城鯱(しゃち)の門北側広場に2017年3月に建立された佐賀藩10代藩主・鍋島直正の銅像の方角を向いている。銅像の原型を手掛けた佐賀大芸術地域デザイン学部の德安和博教授(彫刻)は、「過酷な自然と向き合う、骨太で強靱な肉体と、強い精神力を形にした」と話した。島義勇は、明治政府の開拓判官として、札幌市の原型をつくった。明治維新と北海道命名から150年となるのを記念して、佐賀県と県内20市町などでつくる「肥前さが幕末維新博推進協議会」(会長・山口祥義知事)が建立した。総事業費は2,800万円で、このうち約2,310万円をふるさと納税制度などを活用した寄付金で賄った。北海道からも多くの浄財が寄せられた。佐賀市の佐賀城公園「西御門橋」南側に位置し、2018年11月11日に除幕式があった。除幕式には約800人が参加。島義勇の子孫・高橋はるみ北海道知事・秋元克広札幌市長・山口祥義佐賀県知事らも式典に参加した。幕が引かれ銅像の姿があらわになると、来場者から拍手が響き、カノン砲による祝砲もあった。また、これまで名称がなかった近くの交差点が「島義勇像前」と名付けられた。山口知事は「島公の志が花開いたのが北海道。佐賀県と北海道の交流を通して、その志を未来につなげないといけない」と話した。高橋知事や秋元札幌市長は、島が北海道で「判官さま」と呼ばれ親しまれている点に触れ「島公は北海道の大恩人で、人を大切にする佐賀県が輩出した賢人。(銅像建立を)北海道と佐賀が未来へ踏み出す一歩にしたい」と述べた。※『佐賀新聞』2018年11月13日号等より流用・改編。
おいしい(原文)맛있어요
水辺に面し、東屋で涼風を感じながら休憩するひとときに至福を感じる😅
名前 |
島義勇 銅像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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猫にもモテる銅像。