沼館城跡で歩く中世の足跡。
沼の柵本城址の特徴
古代からの需要拠点が残る、土塁が見事な史跡です。
沼館城の本丸跡は、悠久の歴史を感じさせる場所です。
後三年の役で清原家衡が立て籠もった、歴史ある柵です。
沼館城の本丸跡ですが、遺構としては本丸を囲繞する比高7m程の土塁が良く遺っています。
今はお寺や学校の一部となっていますが、古城だった雰囲気の残る史跡でした。門から入ると土塁に囲まれた園庭のようになっています。私は2020年秋と2022年の春に訪れましたが、秋は紅葉が綺麗でした。桜も沢山植わっていますので春もよい景色だと思います。
ここは沼柵伝承地だけで、土塁などは中世遺構と考えられています。八幡太郎義家、清衡軍がこんな平地で負ける可能性もこの柵から脱出して金沢柵まで逃亡出来る可能性もかなり低いと思う。
2021年5月5日に訪れました。後三年の役で応徳3年(1086年)清原家衡が、清原清衡と源義家の連合軍を撃退した居城です。蔵光院というお寺が、城跡に建っています。雄物川町の中心部は、ほぼ、この城郭内にあたるようです。元々は、雄物川の自然堤を活用した沼地と低湿地帯に囲まれた城でした。長期戦になって、冬を迎えたため、連合軍は、餓死者や凍死者を多数出し、撤退を余儀なくされました。この戦勝を聞き付けた清原武衡が、家衡に金沢柵へ居城を移すことを進言し、この城から去りました。
沼の柵本城跡 現在は蔵光院の山門か。
後三年の役の際、清原家衡がこの柵に立て籠もって源義家軍を迎え撃ちま した。四方を水で囲まれたこの柵は難攻不落で、義家軍は苦戦しついに撤 退。このあと、清原家衡はより強固な金沢の柵へと拠点を移していきました。
八幡太郎が負けた場所。歴史の深さが感じられる。地元の方々が寄贈された石仏が多く点在して、その想いが伝わってくる。
蔵光院~小学校跡を土塁が囲む。
後三年の役で清原家衡が篭った。
名前 |
沼の柵本城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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古代から長い間の需要拠点跡。現在は寺院です。住宅地の中にあります。