四万十の歴史が息づく中村城。
中村城跡の特徴
室町中期の為松氏築城、連郭式平山城の中村城跡で歴史を感じる公園、
二の丸にある模擬天守風資料館と天守閣からは土佐の小京都が一望できる、
桜の見頃には多彩な植物と共に花見が楽しめる自然豊かな史跡公園、
当時の遺構が残っているのは石垣と曲輪、土塁など。お城っぽい建物は建ってますが当時の文献がなくどんな姿なのか分からない為、犬山城を参考にして模擬天守を建てたそうです。川の石を使ったので角がなく丸い石で作られた石垣は珍しい。お城に使われていたのか付近を散策してると瓦なども放置されてました。重要なものではないのかな?
四万十市中村地区からなら,ほとんどの場所から見えるのではないかとおもいました!少し角度が違うと,また見え方も違うので楽しむことができました。周りをぐるっと回るのもよし,坂を登って近くまで行くのもよし。時間に余裕のある方は,是非資料館を見ることをおすすめします。
高知県四万十市にあります中村城(別名為松上)応仁の乱を避けた一条教房が荘園であった中村に下向しそのまま土着、地元の豪族為松氏が家老として取り立てられ、為松氏により築城されたのが始まりと言われている土佐を山内一豊が治めるようになると、弟康豊の居城となります中村城は連郭式天守で、御城・為松城・東城など複数のお城の総称だそうです。
夜に行ったら照明がなくて暗くて先に進めず、本格的な肝試しになりました。昼間にいくべきだった…
河口から割と近くにも関わらず、以外に段差がありました。城跡北側の駐車場に行くにもくねくね上がっていきます。遺構は多くはなく、駐車場から本丸の間、資料館廻りに土塁があります。東曲輪に行くと段差が明瞭で、急斜面の下にすぐ市街地が拡がっています。曲輪跡は割と平坦ですが城跡周囲は急斜面になっているようでした。資料館で地形図を見ると、四万十帯で付加コンプレックスの地層のようでした。
高知県四万十市丸の内に、室町中期・地方豪族為松氏により、築城された連郭式平山城🏯で、別名を為松城🏯と云います!天守は不明で、現在・望楼型4重5階の、模擬天守が昭和48年に再建されました!城主は、為松氏ー土佐一条氏ー山内氏と移り、1615年元和元年に、一国一城令により廃城となりました!遺構は、土塁に石垣と曲輪が残ってます!今は、郷土博物館となり、歴史に親しむことができます!天守からの眺めも、最高です!
元豪族の為松氏の築城と伝わっています。為松氏は、応仁の乱を避けて中村に土着した公家 一条氏によって家老に取り立てられたという家柄です。中村城は既に消失した北側の今城と御城詰を除き、現状一番北になる中ノ森から為松城(本丸)、二ノ丸、東城と南東方向に細長く延びる形になっています。遺構は比較的良く残っていて、曲輪、土塁、石垣、堀切など見所の多い城です。二ノ丸に建てられている四万十市郷土博物館は犬山城を模したという模擬天守で、眺望も良く、細い道ながら車で近くの駐車場まで行く事が可能です。
多くないけど、緑が多くてストリートワークアウトが楽しかった。
四万十市指定史跡中村城跡城跡は現在は為松公園となっており、二の丸には模擬天守風の資料館があります。公園内には土塁が残っていたりしますが、公園整備によってかなり破壊されているように思います。【歴史】この地を支配していた一条兼定が天正2年(1574年)豊後に追放され兼定の嫡男内政が擁立されます。長宗我部元親が後見となって大津御所に送られ中村城主には実弟である吉良親貞を置いて幡多郡を支配させました。天正3年(1575年)一条兼定は中村城奪還のため伊予の法華津播磨守らの助勢を得て侵攻しますが長宗我部元親に敗れ奪還は果たせなかった。関ケ原合戦後、土佐の山内氏は高知城を築いて居城とし中村城には山内康豊をおいて中村山内氏となりました。【アクセス】為松公園に駐車場があります。#お城 #城跡 #城 #城巡り #高知県#四万十市 #中村城 #為松公園。
名前 |
中村城跡 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0880-35-4096 |
住所 |
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
|
評価 |
3.5 |
周辺のオススメ

模擬天守ですが、ないよりはあった方がいいかな?本来の天守閣は不明なので、本当に模擬のようです。博物館になっていますので、それなりには見応えもありますよ!石垣は、ふもと?の方に本物があるらしいのですが、見つけきれず断念しました。天守閣の手前に見られる石垣は何となく違うよね?丸石をそのまま積んでいるのですが、本物ではないよね??なお、天守閣の隣まで車で来ることが出来ますので、この点はおすすめです。