縄文時代を感じる貝塚。
大田貝塚の特徴
縄文時代前期から後期にかけての貝塚が存在しています。
昭和初頭からの発掘調査で80体近い人骨が発見されています。
大田貝塚は貝塚の広場に石碑と看板が設置されています。
石碑と看板があるだけの広場です。看板の文字が所々ぐにゃぐにゃになってます。
看板と石碑があるだけだけど、その場に立って縄文時代のことを想像するとワクワクしました。
太田貝塚 広島県史跡尾道市史によると現地の正式地名は大田ですが、指定時の県報告示は太田であるそう。1925年に発見され、7回発掘調査が行われているそうです。70体以上の人骨や縄文時代の土器、石器等が出土していて、資料は京都大学清野コレクション、広島大学、教育委員会等が所蔵しているそうです。今は宅地化されていますが、昔は海の近くだったのでしょう。このようなところに縄文時代から人が住んでいたとは感慨深いです。
大田貝塚は松永湾北西部、標高約3mの小扇状地にある、縄文前期から後期にかけての大規模な貝塚で、昭和初頭から5回にわたる発掘調査で80体近い人骨のほか、土器・石器・骨角貝製品・土製品など多数発見され、昭和24年に県史跡に指定された。本貝塚は往時の海岸線である砂層上に堆積したもので、混貝土層と有機砂層とから成り、混貝土層からはハイガイ・カキ・ハマグリ・アサリ・ツブなどの貝類が出土している。
約12000~2300年前の縄文時代前期~後期にかけての貝塚。その時代、この辺りは松永湾の海浜に接していた。現在、付近は畑や宅地となり、面影はなく、この場所は一応史跡公園らしいが、案内板と石碑以外は何もない状態。古くから多数の人骨が出土(人骨は74体以上)して著名であり、昭和24年(1949年)に広島県史跡に指定された。縄文時代の遺物としては、前期・中期・後期の土器の他、石鏃、石匙、石錘、石斧、敲石などや、貝殻は、蛤、牡蠣、アサリ、ハイガイ、テングニシ・その他は獣骨などが出土し、当時の人々は前面に広がる海で貝や魚を捕り、背後の丘陵で木の実や鹿、猪を捕る生活をしていたと考えられる。また、昭和39年(1964年)の調査では、貝塚の東端に、古墳時代の幅2.6m、深さ085mのU字形の溝が南北にわたって見つかり、底から古式の土師器や製塩土器類が出土している。古墳時代になると、この場所で塩作りが行われていたとみられる。
名前 |
大田貝塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.ononavi.jp/sightseeing/showplace/detail.html?detail_id=438 |
評価 |
3.7 |
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道が狭く、駐車場がありません。歩行か自転車を推奨します。