修験道の祖、役行者の遺跡を訪れて。
スポンサードリンク
役行者の遺跡。ただ、どういう遺跡かはわかりません。遺跡のまわりには何の説明もありません。国道166号線沿いにありますが、すぐ近くには直接行けません。国道からは見上げると見えます。すぐ近くに行くには、国道を大阪側へ少し行ったところにある小さい道に入る必要があります。あまり訪れる人はいないのか道はかなり荒れています。徒歩でしか行けません。
名前 |
河内国役行者遺跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.0 |
スポンサードリンク
周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
多くの山岳寺院で開祖として名前が残す、修験道の祖ともいわれる役行者(役小角、役優婆塞)の遺跡。『続日本紀』によれば文武3年(699)にその能力を妬んだ弟子の韓国連広足による妖惑の罪を犯しているという讒言で、伊豆に流刑になった。鬼神を使役して水や薪を得、命に従わなければ呪いで縛ったという。『日本霊異記』では生まれを大和国茅原村とし、葛城山の一言主神を呪縛したとしている。流刑になったのちも、夜になると空を飛んで富士に登り修行を続けた、とある。その修行の地として上がったのが富士山のほかに葛城山と金峰山であったが、平安末期頃には熊野や大峰山、箕面や二上山の名前が挙がってくる。中世には山伏の行道が役行者にはじまることが仏教書に記されるようになり、近世には浄瑠璃や小説の題材ともなって、空海や行基のように庶民からの信仰を集めた。