西大寺の歴史を感じる東塔跡。
東塔之趾の特徴
奈良時代末期に創建された四角五重塔跡が見どころです。
非常に立派な基壇が残り、歴史を感じられる場所です。
戦火で焼失した東塔の名残が今も息づく静かなスポットです。
塔部分は室町時代に戦火で焼失した、跡地ですが、西大寺て1番気に入ってます。
令和二年 7月23日 京都初夏の旅西大寺 東塔跡今はその名残だけが残る場所です❗️
西大寺にあった東西二塔のうち、本堂南側にある東塔基壇の跡。当初東西両塔は、八角七重塔として計画されたが、奈良末期の財政難で四角五重塔に縮小されて造営されたとの伝承がある。その塔も928年の落雷で一度、焼失し、平安末期に修造された。鎌倉期には塔供養が行われた記録があり、叡尊は東塔を中心とする宝塔院を西大寺復興伽藍の中核とした。しかし、1502年に焼失し、その後は基壇のみが残され、復興されていない。1956年の発掘調査で基壇周辺に八角の掘込跡が見つかり、八角塔の伝承が裏付けられた。現在は、周囲に八角の葺石で囲われている。もちろん、基壇跡には立ち入りできない。21/06/27に訪ねた時、蓮の一鉢が置かれており、西大寺の重要な建造物であることが分かった。前に立ってみていると、父である聖武天皇を超えようとする孝謙上皇の意気込みが感じられてきた。
西大寺でもっとも惹かれるのが東塔之跡。基壇のそばに立てば、いつも称徳天皇を思う。突如タイムスリップし、若き日の孝謙が佇んでいるのを見る.......。
非常にゆっくりした面立ちでした。ありがとう御座いました!
非常に立派な基壇が残っています。八角形の基壇の中に四角形の基壇があります。当初の計画では八角形の基壇に七重塔を立てるつもりだった様です。立入禁止となっています。
奈良時代末期四角五重塔として創建。
名前 |
東塔之趾 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
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東塔の基壇跡です。かつては東西にあったみたいですが、現在は東塔の基壇だけ残ってます。