壺笠山城の魅力、眺望は木々の中。
壺笠山城跡の特徴
明智光秀が修復したとされる志賀の陣跡があります。
山頂に広がる石垣跡は歴史を感じさせます。
頂上部は古墳で、神秘的な雰囲気を醸し出しています。
ワォ、コレはいいぞう。朝倉.浅井が、陣城として興し、光秀さんが、改修したとされる山城。穴太の駅までは、順調。さて、登山道は、何処だ? ふむ、グランドと墓地の間の狭い道を突き進むのね。突き当り、チェーンの柵を越え緩やかにハイキングする。合ってるのかな?と、思えど、ひたすら歩く。砂防ダム越え、年期の入った橋渡り、分岐を、左に曲がり、次の分岐をほんの少し下った右側斜面にひっそり、登城路。ピンクテープが頼りです。ここからが、真の攻城戦。よくも、まあ、ここに陣城つくったね。籠もる方も大変。尾根筋まで出ると、手作り感満載の小さな木の看板。左折すれば、あと少し。ところどころ、曲輪と覚しきところあり。主郭に近づくにつれ、石垣、石積の崩れた跡が散見される。主郭周りは、ぐるりと一周、帯曲輪。主郭の看板裏に、みごとな石垣と虎口あり。頂上からの見晴らしはよくないが、ここは、穴場、必見ですね。
穴太野添古墳群の奥の空地に駐車しました。そこから川に沿って1.4キロほど歩いたところを左折してしばらく進むと、巨大堀切のような削平地に出ます。そこから少し進むとテープのある登城口です。その先もテープを探しながら進めば尾根に出ます。帯郭の一部に石垣が見られますが、主郭は狭く、縄張に技巧的な印象はありません。駐車場からの比高は約270m、合計距離約4キロ。先人が言われるとおり、1時間半はみておくとよいでしょう。
壺笠山城は標高421mの壺笠山山頂に展開した山城である。麓からの比高は約280m程度で斜度はキツくないが、緩やかな道が長く続き、往復1時間半は必要である。また、道中案内板はほぼ皆無であり事前に調べておいた方が無難である。私は登山口を見落としかなり行き過ぎてしまった。壺笠山城は前方後円墳を改造したつくりで織田信長と敵対した浅井朝倉連合軍の城である。至近の信長方の宇佐山城と対峙した。壺笠山城は虎口の残る主郭とその周囲に腰曲輪、帯郭が残っている。主郭側面部には石積が部分的に残っており、虎口付近の石段も残っている。主郭には案内板が立っている。
浅井朝倉連合軍が布陣しその後明智が主郭を石垣で改修したらしい本来穴太を見下ろせるはずだか城内は全体的に樹木が生い茂っていて眺望は良くなかった主郭は古墳を利用したらしくお椀型となっているが、二ヶ所の虎口がはっきりと残されている主郭下には崩壊した石垣が散らばっていた。
志賀の陣跡 明智光秀が修復したとも、言われている。
頂上部は古墳だとか。それが山城として使われたらしい。西側に巻いてから頂上を目指すのが一番登りやすいようだ。
山頂付近一帯に石垣跡あります。郭と思われる個所もあります。林道から城跡への登り口は黄色のテープが目印、後はピンクのテープに従って行けば山頂にたどり着きます。
名前 |
壺笠山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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クルマではここまで。時間があって、虫と熊が出なければ、というところですが、比叡の山は深いですね。京都に近い比叡山中でゲリラ戦を展開されると、結構苦しい気がします。でも、昔の人もできそうでできないことが、分かるような気もします。