水辺の公園で歴史を感じる。
二子の渡しの特徴
二子橋の開通により渡し船が廃れた歴史が感じられます。
多摩川沿いに位置し、静かな公園も新設されています。
二子と瀬田を結ぶ旧大山街道の重要な史跡です。
12/8 新しい公園が作られてます〜水辺の公園かな〜野球場が無くなってます。
多摩川沿いにある史跡です。
二子と瀬田を結ぶ旧大山街道の渡しの二子側の跡地です。渡しがあった当時、渡し場近くの多摩川の数量は現在よりも多く、また、大きな船1艘に牛車8台を乗せ、船頭は2人または3人、時には4~5人で漕いだそうです。また、舟は2~3艘あり、通行人が集まり次第運行し、河原には船頭小屋もあったと云われています。大正14年(1925)、二子橋の開通で、渡しに必要はなくなり廃止されたそうです。大山街道の川崎側の終点の景色として眺めると、ちょっと不思議な風景に思えます。右は車、左は電車が橋で渡っているこの場所で、90年前の風景では橋もなく、船が渡っていたとはちょっと想像できないですね。
二子と瀬田を結ぶ旧大山街道の渡し。江戸時代には大山詣りの参拝客などで賑わい、また相模地方の産物を江戸に送る流通経路としても利用された。渇水期となる冬は土橋を、その他のときは渡し船を使い、武士は無料だった。現在は二子の渡し場に通じる道標が残っている。
名前 |
二子の渡し |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
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二子橋が架けられたので昭和以後は北へ向かう右岸のこの渡し船は廃れたようです。曾ては三業地もあったあたり。横断歩道を渡って反対側に岡本かの子文学碑があります。