松戸の工兵魂、歴史を感じる場所。
陸軍工兵学校歩哨哨舎の特徴
陸軍工兵学校は大正八年に開設された歴史的な場所です。
コンクリート製の歩哨哨舎が独特なデザインを誇ります。
松戸市の高台で生まれた工兵の街の記憶がここに残ります。
歩哨の建物ですが、デザインがいいですね。
コンクリート製の歩哨哨舎。昭和二年から十年の間に作られたとされる。割りと意匠に力を入れている。現代のコンクリートと比べて,砂利の含有率が多いのが見た目に分かる。この頃のコンクリートは現代のコンクリートには劣るが,戦後のコンクリートよりも質が良く,保存に優れると言われる。
陸軍工兵学校はこの高台(相模台)全域を敷地としていました。千葉県に限らず、東京近郊には軍施設が多数存在し、一部は自衛隊施設として現在も使われています。
名前 |
陸軍工兵学校歩哨哨舎 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

この地は幾多の変遷を経て、大正八年には陸軍工兵学校が開設されて以降、太平洋戦争終結の昭和二十年まで存続し、教育修了者は各所に配属され、工兵の街松戸は広く知られるようになりました。公園入口の門柱と門衛は、工兵学校当時の名残をとどめています。旧陸軍は、工兵のより高度な技術研修のため、相模台にあった松戸競馬場(船橋市・中山競馬場の前身)跡地に大正八年(一九一九)工兵学校を開校し、昭和二十年八月まで存続させました。家団造の正門は、大正九年に造られたもので、市内に残る数少ない煉瓦建造物です。警備のための歩舎は、竣工当時木造でしたが、昭和二年から昭和十年頃にコンクリート造にしたものです。正門は、門柱頂部の門灯と門扉がなくなっていますが、現存する門柱四墓と歩哨舎が往時の様子を伝えています。