小倉城隣接の八坂神社、歴史と静けさ。
小倉祇園 八坂神社の特徴
小倉城の麓に佇む、歴史ある八坂神社です。
境内には神楽殿や奇岩『イボ取り岩』が見られます。
静かな雰囲気の中、御朱印を頂けるスポットです。
朝起きて神社に行きたいと思いこちらを拝見し参拝に足を運びました。何度か参拝したことがありました車で境内に入れます。手水舎には、フクロウが出迎えてくれてました。朝から綺麗に掃除をされてる方々が居て、とても気持ちよく感謝の気持ちでいつぱいになりました。由緒ある神社で手を合わせるのは心が和みました。
本殿を始め、境内にはお参りするお社がたくさんあります🛐神楽殿のすぐ側には、『イボ取り岩』なるナニコレ⁉️な奇岩がありビックリΣ(⊙ө⊙).ᐟ.ᐟぜひ、足を止めて、そばにある立て札🪧をご一読ください🤭
境内はどこも綺麗に管理されていてとても気持ちが健やかになります。拝殿はもちろん立派ですが社務所がとても立派で驚きました。猫さんは人に撫でられたくて人がたくさん居るところに出てくるらしいです。とても大人しく可愛かったです。
小倉城の城内にあります。京都の八坂神社の分社でしょう。細川忠興が、勧奨したようです。細川と言えば、京都に縁のある大名です。だから、八坂神社なのでしょう。博多の櫛田神社の祇園祭は有名です。しかし、多分、小倉も負けていないでしょう。小倉は、気性が激しいと、聞いています。八坂神社は、内堀と外堀の間にあります。とても静かで、お詣りに相応しい所にあります。
御朱印を頂きました。神社の境内には、おとなしい茶トラ猫がいます。誰でも撫でることができる。
「八坂神社」や「小倉祇園」と呼ばれている、小倉城内にある神社です。楼門には「豊前総鎮守」と書かれた額が掲げられています。元和3年(1617年)の創建当時は小倉祇園社感応院と呼ばれ、明治になって祇園社から八坂神社へと名前が変わったそうです。昭和9年(1934年)に現在の小倉城内に城下の鋳物師町から遷座しています。
祇園さま(スサノオノミコト)は九世紀頃には、既にここ、小倉の地に祀られておりました。元和三年(1617年)に丹後国(現在の京都府)から小倉の地に移ってきた細川忠興公が、改めて祇園社(のちの八坂神社)の社殿を 小倉・鋳物師町に創建しました。✱細川忠興公が小倉に来た理由慶長五年(1600年)の関が原の戦いで東軍に参加し、その戦功を評価され、徳川家康公より豊前小倉藩39万9000石を付与されたのです。✱忠興公が祇園社(のちの八坂神社)を建て直したきっかけある日、城外に鷹狩りに出かけた忠興公は、小さな社を見つけ、祠の中にある御神体を覗き見ようとしました。杖でこじ開けようとしたところ、中から一羽の鷹が飛び出し、忠興公の目を蹴ったのです。失明同然になった忠興公は、神様に対して非礼を働いた神罰だと深く反省し、荘厳な社殿を建立したのでした。これによって忠興公の目も快癒したと伝えられています。以後、八坂神社は変わることなく小倉城下の人々の信仰を集めてきました。明治になり、祇園社から八坂神社へと名前が変わり、昭和九年に現在の小倉城内にご遷座されています。
私の場合、どこの神社に行ってもそうだけど、お御籤をしたくなりますね。お御籤もあり、手を清め洗う場が自動で、直接に他人が手で触れないから清潔感はありました。ここは、小倉藩主細川忠興が1617年元和3年に城の守護神並び、豊前国の総鎮守として創建しました。毎年7月の第3土曜日を挟んだ前後の3日間に、小倉祇園祭が行われるのだそうです。その時に、小倉祇園太鼓が打ち鳴らされます。江戸時代は山鉾や山車等を出してたみたいですが、明治時代以降は、囃子(はやし)が主となり、今日の太鼓中心の祇園祭になりました。私は、小倉祇園祭を観た事が無く、一体、どんな感じなのかは分かりませんけど、祭の間も活気があって良いですね。
お城に隣接された神社です。鳥居と山門がどちらもある、神仏習合の寺社です。中には撮影所もあり、七五三の時は凄く便利だと思います。実際、多くの七五三の家族が来ていました。御朱印は書き置きではなく、実際に記載してくれます。参道入り口が有名なフォトスポットとなっており、鳥居とお城を同時に撮影できます。
| 名前 |
小倉祇園 八坂神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
093-561-0753 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
小倉城見学の折に訪問しました。小倉城と隣り合っています。入り口に大きな石の鳥居があります。また、東側にある門も大変立派です。お参りをして清々しい気持ちになりました。