鏡山大神社と由緒ある階段。
鏡山大神社の特徴
長い石段を登ると、荘厳な雰囲気が広がる神社です。
仲哀天皇と神功皇后伝承地として名高い場所です。
万葉集にも詠まれた由緒ある鏡山の神社です。
渋滞ポイント国道201線でハマって横を見ると鳥居が見えます先ずは階段がなが〜い(^_^;運動不足には大変ですwどうやら万葉集にもあり皇族にも関わる由緒正しい神社横には河内王の墓もあり宮内庁の立札もあるんで間違いありませんね一応ですがキツい思いをして長い階段を登って境内の横を見ると道路が…反対側が車で上がれそうです(^_^;
本殿までは階段を結構登ります。地理的にも重要な地で有ったらしく、万葉集の歌碑等も有り楽しめました。以下引用させて頂きました。鏡山大神社(かがみやまだい)鎮座地〒822-1402福岡県田川郡香春町大字鏡山字南原705旧豊前国 田川郡旧社格等村社御祭神神功皇后仲哀天皇御由緒仲哀天皇は神功皇后と共に熊襲を御征伐になられたが、やがて陣中に崩ぜられた。皇后は熊襲の叛服常なきは新羅の後援によるものであると御親ら男装し舟師をひきい新羅に向はせられた。その途路、此の岡に天神地祇を祭り必勝を祈願し、皇后の御魂を鎮め給い御鏡を祀り崇め給いしが、御社の草創と伝えられる。祭神は神功皇后を主神とし後仲哀天皇を祭祀せらる。皇后御鎮座(西紀二七〇年)より此の方一千七百余年を閲する御宮居である。
正月だ!あまり行ったことないところに行ってみようということで…きれいに清掃されたまっすぐな164段(石段に書いてた)が待ち構える基礎体力高め系な神社です(笑)登り切った後はしばらく立ち尽くしてました。なんと裏には車で来れるショートカットコースがあることがわかり、まぁ雰囲気的には正面からのほうがよいので痛み分けです。神社から見下ろす長い階段は登ってきたものにしかわからない達成感といい風景がありましたよ。
神武天皇が邸宅を建てた貴船神社を探している途中。銅製の鳥居に引き寄せられ入って行った神社です。鏡山大神社です。佐賀県唐津市にある鏡山神社と一緒なら神功皇后が祀られてるのか駐車場🅿有り 2台ほど道端にトイレ🚻わかりませんでした車椅子♿境内まで車で上がれそうです。階段を160くらい上がりますがそこまで疲れない。階段上がったらすぐ手水舎があり拝殿が見えてきます。拝殿と本殿の先が香春三山のニノ岳になります。グーグルマップで上から見ると一ノ岳は採掘で禿山になってます。神功皇后伝承はいろんなとこで見ます。神功皇后は九州王朝の皇族と婚姻関係を結び大和朝廷との皇族、仲哀天皇と婚姻関係を結びますので、同じような鏡山神社伝承が存在するのです。是非行かれてください🐈ありがとうございます🐈
まっすぐ一直線の階段をひたすら登ります。KBC TVのポスターの場所にもなってましたね。いいところです!
古墳の上に、建っているようです。
青銅製なのか緑青が浮いた第一鳥居をくぐると、奥に第二鳥居があり、神社へと昇るながーい階段が現れます。第二鳥居の傍には、見たことのない造形の狛犬がお出迎えしてくれます。狛犬は顔が横に広くデフォルメされているので、とっても愛らしいフォルムとなっています。普通の狛犬は玉を前足で押さえるか、大きめの玉に両前足を乗せるのですが、ココの右側の狛犬は玉の上に載ってたら、前方向に転んでしまった!みたいな玉から落ちてのけぞったポーズになっています。遠目には魚に見えていたくらい、珍しい狛犬です。本殿へは164段のとっても急な石段があり、まあまあ足腰に来ます。境内はきれいに掃除されており、木漏れ日がさわやかな印象でした。ここまで来て気付きましたが、本殿ウラに境内まで続く道があり、自動車が停められる駐車場も完備されていたのを見て、思いっきり疲れが出ましたね。ウラの道はGoogleに出てこないので、次回は探索してみようと思います。
鏡山を詠んだ万葉歌について歌枕の世界で「鏡山」といえば、まず滋賀県竜王町の鏡山が思い浮かぶ。中仙道の宿場町で、都にも近いことから多くの旅人が行き交い、歌詠みポイントとなっていたようだ。次に思いつくのは佐賀県唐津の鏡山。佐用姫の領巾振(ひれふり)伝説で有名。源氏物語では玉蔓に結婚を迫る大夫監が送った田舎びた歌に登場。さて、福岡県香春町の鏡山はどうなんだろうか。万葉集には4首ほど収録されており、多分三つの鏡山うちで一番古い歌枕であろう。万葉集では奈良時代の河内王と手持女王の恋の歌が詠まれている。現地の案内板にも「恋の里・鏡山」記されていた。ところが万葉集以降にこの地を詠んだ歌に出会ったことがない。(探せていないだけであるが)もともとは神功皇后が三韓征伐の成功を祈願した時に用いた鏡をこの地の山に奉じたことから、その山が鏡山と呼ばれるようになったという由緒深い歴史があるのだが、どうもその後は都の歌人たちから忘れ去られたようだ。こんな鏡山を詠んだ万葉歌「梓弓 引き豊国の 鏡山 見ず久ならば 恋しけむかも」「大君の 和魂あへや 豊国の 鏡の山を 宮と定むる」(手持女王)「豊国の 鏡の山の 岩戸立て 隠りにけらし 待てど来まさず」(手持女王)「岩戸破る 手力もがも 手弱き 女にしあれば すべの知らなく」(手持女王)鏡山大神社の左手に続く丘陵地に手持王女の墓がある。
御朱印は、有るの、だろうか?
| 名前 |
鏡山大神社 |
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| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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鏡山大神社旧社格は村社です。神社のある「鏡山(かがみやま)」という地名は、かつてあった豊前小倉藩の田川郡(たがわぐん)鏡山村に由来します。明治22年(1889年) 鏡山村・高野村・中津原村・柿下村が合併して、勾金村(まわりかねむら)が発足しました。昭和31年(1956年)勾金村・香春町・採銅所村が合併し、改めて香春町が発足しました。