金剛院隣で光厳天皇の歴史探訪。
光厳天皇髪塔の特徴
光厳天皇髪塔は鎌倉時代の歴史を感じられる場所です。
天龍寺の隣に位置し、アクセスが非常に良いです。
北朝初代光厳天皇の髪塔が存在する貴重な史跡です。
天龍寺の隣にあります。
金剛院境内に営まれている円丘ですが、髪塔まで確認することはできませんでした。チェーンは施錠されていないため一番手前の鉄扉まで立ち入ることができます。宮内庁書陵部の陵墓地形図集成によると面積は229.93㎡と記されています。
生年月日:1313年8月1日死没:1364年8月5日 (51歳)光厳天皇は、14世紀の初めに鎌倉幕府を倒そうとして兵を挙げた後醍醐天皇がもろくも破れて捕らえられて隠岐の島に流された後、幕府によって天皇にさせられたのが光厳天皇です。後醍醐天皇は退位を拒否し、やがて隠岐の島から脱出して倒幕の兵を挙げて各地に転戦したため、これ以降、後醍醐天皇の系列を南朝、光厳天皇の系列を北朝とする、日本の歴史上初めて二つの皇統が並立するといういわゆる南北朝時代が始まるのです。後醍醐天皇に味方した足利尊氏や新田義貞によって鎌倉幕府が滅ばされた後、光厳天皇とその皇子たちは捕らえられ、光厳天皇の処遇は「天皇として即位はしていないが特例として上皇待遇とする」とされることになったのです。
光厳天皇、その在位は鎌倉時代末期の1331-1333年、後醍醐天皇失脚から復活までの間であって、後醍醐天皇が自身の廃位と光厳天皇の即位を否定した為、歴代天皇として扱われない足利氏擁立の北朝初代。この髪塔は大阪の金剛寺の分骨所と並ぶものとして金剛院敷地内に存在する。
名前 |
光厳天皇髪塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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北朝初代光厳天皇の髪塔です。これは天皇の髪を収めた小さな塚ですが、れっきとした宮内庁の管理施設になっています。光厳天皇は南北朝の混乱の時代が始まる直前の、元弘元年(1331年)からわずか2年ほど即位をした北朝の天皇ですが、今日の天皇家の直系の祖先であり、明治天皇が南朝を正統と認めるまでは第96代天皇として正式に認められた天皇でもありました。この南北朝どちらが正統であるかの議論は、今日もなお続いています。