広々解放感の西本殿。
苗村神社の特徴
辰年の初詣に最適、竜王町の“なむらじんじゃ”で心を癒せます。
西と東に別れた本殿、広々とした解放感を味わえる神社です。
手水舎にはカエルのお庭があり、ユニークなスポットとして話題です。
かなり立派な神社ですが、参拝客は同時間帯は誰もいませんでした。西本殿は国宝建造物、また門など何点か国の重文であります。
東ご本殿に続き、西ご本殿へお詣りさせて頂けました。楼門と手水舎、拝殿、重要文化財のご本殿と、全て立派なお社です。東西のご本殿をお詣りする事で、一段と気持ちの良い一日になりました。ありがっ様です。
他にもあるのかもしれませんが西と東と本殿が別れてる神社です西本殿は広々と解放感のあります五月には流鏑馬神事などがあったりするみたいです手水舎にはカエルのお庭が🤣--------------〈参拝時間〉いつでも参拝できます〈アクセス〉🚊公共交通機関🚍️JR東海道本線近江八幡駅 8.2kmバス竜王町タウンセンター下車650m近江鉄道万葉あかね線武佐駅 7.7km🚘️車名神高速西宮線竜王IC 3.6km〈駐車場〉無料駐車場あります〈売店・食事処〉ありません。
他にもあるのかもしれませんが西と東と本殿が別れてる神社です西本殿は広々と解放感のあります五月には流鏑馬神事などがあったりするみたいです手水舎にはカエルのお庭が🤣--------------〈参拝時間〉いつでも参拝できます〈アクセス〉🚊公共交通機関🚍️JR東海道本線近江八幡駅 8.2kmバス竜王町タウンセンター下車650m近江鉄道万葉あかね線武佐駅 7.7km🚘️車名神高速西宮線竜王IC 3.6km〈駐車場〉無料駐車場あります〈売店・食事処〉ありません。
道沿いの神社、その名も“なむらじんじゃ”よく通るたびに注目はするが通り過ぎていたので寄ってみた。立派な楼門は国宝のようです。一見の価値あり!
今年は辰年なので、竜王町のこの神社に初詣。龍神池もありました。たけし城みたいな凶悪な池ではありません。それなりに大きい神社で、楼門は大変立派で一見の価値ありです。初詣期間は、屋台もいくつかでていて、それなりに賑やかです。ちょうど西本殿を参拝中に、元旦の能登地震が起きて、結構揺れたので、東本殿は参拝せずに早々に退散しました。
「なむらじんじゃ」とお読みします。茅葺き屋根の桜門が印象的です。近くではご近所さんがゲートボールを楽しんでいらっしゃいます。こちらは先に東側に鎮座されました東本殿こと『長寸神社(なむらじんじゃ)』からしばらくして稲作が盛んになった平安時代のころに鎮座されたそうです。…😅。三十三年ごとに式年大祭が行われるそうです。タイミングがあえば見てみたいですね。
| 名前 |
苗村神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0748-57-0160 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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苗村神社(なむらじんじゃ)。滋賀県蒲生郡日野町十禅師。式内社(小)長寸神社(ナカムラ)、旧県社。主祭神:那牟羅彦神(なむらひこがみ)・那牟羅姫神(なむらひめがみ)・国狭槌尊(くにのさづちのみこと)。<西本殿の祭神>相殿神:大国主命(おおくにぬしのみこと)・事代主神(ことしろぬしのかみ)・素盞嗚尊(すさのおのみこと)。<東本殿の祭神>主祭神の那牟羅彦神 那牟羅姫神は、当地方に始めて工芸技術 産業を伝え広められた産土の神様で夫婦和合、諸願成就の神様である祖神。國狹槌尊は、国土を開発し、五穀の豊穣と財宝の恵みを垂れ賜い、とりわけ子守大明神と申し上げ、幼児子供をお守り下さる御神徳は広大無辺,誠に格式高き神様として、当地方三十余郷の氏子達ひとしく崇敬申し上げる御祭神であります。資料によると、当社の御鎮座は上古に属し、延喜式神名帳に列座された長寸(なむら)神社にして、格式の高い式内社であります。社伝によれば垂仁天皇の御代に当地方を開拓された御祖をお祀りしたのが創祀とされます。即ち当社神域に現存する古墳或いは域内外より出土する陶物は、何れも古墳時代の遺跡或いは遺品であり当時既に祖先の遺業に励んだ部民の聚住を物語っています。これ等の先人達は、先祖に対する報恩の念により祖霊を神として、当神域の東の方にお祀りしたのに創り、この祭神こそ当地方最高の祖神と心得、地名である那牟羅(なむら)と同音になる長寸(なむら)(長は最高位 寸は村の古字)の字に替えて長寸神社と申し上げました。この御社を后の世になって東本殿と申すようになりました。その后、時代の経過と共に稲作農耕が愈々盛んとなってきました平安時代の安和二年(969)三月二十八日、大和國芳野金峯山に鎮まり給うた國狹槌尊(くにのさつちみこと)の御神霊が、この神域の西の方に御遷座されるようになり、社殿を御造営申し上げ、此処に御鎮座になりました。この御社を東本殿に対して西本殿と御呼びします。寛仁元年(1017年)正月、朝廷に門松用の松苗を献上して以来、年々の吉例となったことから、後一条天皇から苗村の称号を賜り、苗村と呼ぶようになった。天文5年(1536年)3月2日、後奈良天皇から「正一位」の神位を授かる。同年4月9日には勅使中御門宗藤・山科言継により、神位記が奉納される。次いで同年5月9日、「正一位苗村大明神」の勅額を下賜される。天正年間(1573年 - 1593年)には、織田信長が馬鞍一具、太刀七振りを寄進している。1881年(明治14年)郷社に、1920年(大正9年)に県社に昇格している。とあります。